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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (公娼と私娼)

ここは、藩の重要な二つの湊で、江戸時代には「両浜(りょうはま)」と称されていた。,次に私娼については、両浜の遊女が津軽領内の温泉場や弘前城下へ出てきて隠売女(かくればいた)となった場合,城下での隠売女については後述するが、「国日記」によれば、両浜の遊女が温泉場へ出てくることは禁止されていたにもかかわらず,両浜の遊女になるには人身売買(じんしんばいばい)によるほか、親が遊女屋へ証文を出して年季奉公の形をとった
通史編3(近世2) (諸役と仲間)

弘前城下には居鯖横目(魚屋の商売を監視する役)が四人、両浜(青森と鰺ヶ沢)に四人、十三(現北津軽郡市浦村,弘前城下以外に、両浜の青森・鰺ヶ沢の役銀や在浦(両浜以外の九浦)の役銀についても記載があり、貴重な情報,小売酒 15文目 中濁酒 150目 高30石まで,文政12年7月・13年5月仰せ付け 豆 腐 15匁(両浜,寛政4年より鰺ヶ沢も青森同様 醤 油 25文目 酢 25文目 菓子屋 10文目 蕎麦切 5文目(両浜,は15文目 塩肴・干肴 30文目 魚触売 10文目 干 肴 15文目 ただし両浜・油川ばかり 蝋 
通史編3(近世2) (城下の隠売女)

前述したように、隠売女となったのは、両浜の遊女屋から逃げ出してきた者と、下層町人や貧農の娘であった。,ただし、さほど多くはなかったようで、「国日記」には、その後城下において両浜から遊女を呼び出して酒宴を催
通史編2(近世1) (他領者の入領規制と流通統制)

たとえば、弘前で商売が成立せず両浜や黒石を経由して帰国する商人や、弘前以外の在・浦に用事のあった旅人を,その中で、青森・鰺ヶ沢の両浜に着岸した荷物の買い入れに関する規定がある。,両浜における城下商人の統制を明らかにしているのである。
通史編2(近世1) (大問屋制の導入)

問屋たちは大問屋の指揮に従うこととされ、青森・鰺ヶ沢の両浜並びに他の湊において荷揚げされた品は、弘前の
通史編2(近世1) (諸役と運上)

役高は、造酒役は七両二歩、室屋役は三〇匁、桶屋・染屋は五匁、豆腐屋は城下が一五匁で両浜が七匁五歩、質屋
通史編2(近世1) (情報収集活動)

さらに、足軽目付・小知行組頭のうち、一月に二、三度、二人ずつ松前に派遣するように、また青森・鰺ヶ沢の両浜
通史編2(近世1) (御用金の賦課)

さらに寛延二年(一七四九)の飢饉の後には、弘前・両浜・在方の一〇五人に御用金合計八三二〇両と米三〇〇〇
通史編2(近世1) (藩政の転換と家臣団統制の動き)

さらに「両浜沖替」の役銭を半減することで、宝永七年(一六七九)の「御用立」米・金を返済した。  
通史編2(近世1) (穀物の流通統制)

もっとも、両浜は弘前より物価が高いとして、地域による調整は行われた(同前)。
通史編2(近世1) (糧米確保)

藩では、七月十二日に青森・鰺ヶ沢の両浜口を留めたと伝えられる(「平山日記」)。
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

費  目 米 高 比率 備  考 ⑧ 家中知行切米扶持米 65,300石  25.70% ⑨ 両浜払米
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