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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(古代・中世編)
(二 本章で取り上げる中世城館跡)
二 本章で取り上げる
中世城館
跡 青森県では、昭和五十五~五十七年度に、青森県教育委員会によって
中世城館
,の調査が行われ(昭和五十七年度青森県文化財調査報告書『青森県の
中世城館
』、一九八三年、以下Aとする)、,この二つの調査で確認された弘前市内の
中世城館
跡は、次の四五か所を数える(AあるいはBのみに記載されるもの,こうした基準から、本章で取り上げた
中世城館
跡は次の五つである。 ,図1 弘前市内の
中世城館
跡 最後に、掲載図面について説明する。 / 二 本章で取り上げる
中世城館
跡
通史編1(古代・中世)
(大浦氏関係の中世城館跡)
大浦氏関係の
中世城館
跡 鯵ヶ沢町種里城跡や岩木町大浦城跡などは開発に伴う発掘調査が行われている。 / 大浦氏関係の
中世城館
跡
通史編1(古代・中世)
((四)中世城館のネットワーク)
(四)
中世城館
のネットワーク 城館のネットワークは時期によって異なる。 / (四)
中世城館
のネットワーク
資料編1(古代・中世編)
(五 東目屋地区の中世城館の特徴)
五 東目屋地区の
中世城館
の特徴 一、二でも述べたように、東目屋地区は弘前市内でも特に
中世城館
跡が密集 / 五 東目屋地区の
中世城館
の特徴
資料編1(古代・中世編)
(一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)
一 東目屋地区の
中世城館
と領主の歴史 弘前市の飛地となっている東目屋地区には、規模は小さいが数多くの,
中世城館
跡が残っている。 / 一 東目屋地区の
中世城館
と領主の歴史
資料編1(古代・中世編)
(二 各城館の位置)
二 各城館の位置 しかしながら、これら東目屋の
中世城館
跡については、沼舘愛三『津軽諸城の研究』・青森県教育委員会,『青森県の
中世城館
』・弘前市教育委員会『弘前の文化財-古城郭』などで紹介されているものの、比定地が異なったり,③古屋敷 『青森県の
中世城館
』だけが紹介している。,⑩番館跡 『青森県の
中世城館
』『弘前の文化財』「弘前市文化財位置図」が紹介している。,東目屋地区の
中世城館
の全体については、今後の研究課題である。
資料編1(古代・中世編)
(一 はじめに)
一 はじめに 本章は、弘前市内とその周辺にある主な
中世城館
跡を取り上げ、遺構の現状と過去、及び構造や,現在、弘前市内には四〇を超える
中世城館
跡が確認されている。,しかも、ここ十数年来の
中世城館
研究の進歩は、文字どおりめざましいものがある。,最近の市町村史では、こうした視点から『資料編』に「
中世城館
編」を置くことが多く、独自に『
中世城館
編』を,そのため調査に当たっては、基本的には右に紹介した
中世城館
調査の手法を用いている。
資料編1(古代・中世編)
(-例言-)
-例言- 一、本編には、文献史料・
中世城館
調査資料・金石文資料を収録した。,紀略=日本紀略 類史=類聚国史 略記=扶桑略記 補任=公卿補任 逸史=日本逸史 一、
中世城館
調査資料
通史編1(古代・中世)
(調査された館)
弘前市域では現在まで五〇ヵ所の
中世城館
が確認されており、中崎館をはじめ石川城(楯)(写真178)・福村城
資料編1(考古編)
(2.堀越城跡)
(3)地形概観 資料編1-2「第3章弘前地域の
中世城館
」参照 (4)発見の経緯 発掘調査は、国道,県内で行われた初めての
中世城館
調査であったが、バイパス路線内という限定された調査であったことから、堀越城,(5)歴史環境 資料編1-2「第3章弘前地域の
中世城館
」参照 (6)発掘状況 発掘調査は、二の丸
資料編1(古代・中世編)
(新編 弘前市史 資料編1-2 古代・中世編 目次)
三八七 (七) 安藤氏系図参考史料…………………………………………… 四一二 第三章 弘前地域の
中世城館
,四二八 一 はじめに………………………………………………………… 四二八 二 本章で取り上げる
中世城館
跡,五〇七 第五節 国吉館跡・坂本館跡と東目屋の城館群…………………… 五一二 一 東目屋地区の
中世城館
,五二三 (3) 城館の構造………………………………………………… 五二三 五 東目屋地区の
中世城館
, 青森1~2 種子一覧 参考文献 〈付図〉弘前市及び周辺の
中世城館
跡
通史編1(古代・中世)
(支城の城館跡)
関惣右衛門は「十二人屋形城衆」の中の「城代」とされていることから、国吉館跡が大浦城周辺の
中世城館
跡の中
資料編1(考古編)
(あとがき)
特に後者は蝦夷・北方関係史料のほか、
中世城館
ならびに弘前地域の金石文(五輪搭・宝篋印塔・板碑など)が多数盛
通史編1(古代・中世)
(城館調査の今後)
これまで平賀町大光寺城など
中世城館
で土橋などの出入り口を発見した例はあるものの、木橋であることを明確に
通史編1(古代・中世)
(文献史料から見た戦国動乱の激化)
このような構造の城館跡は、県内で見られる
中世城館
跡の中では特異な構造であるといえる。,において合戦が激しく繰り返し行なわれ、それらの合戦の舞台となったのがそれぞれの領地を統括する拠点としていた
中世城館
跡
資料編1(考古編)
(5.荼毘館遺跡)
後者は、
中世城館
に見られるものに形態的には類似するが、出土する遺物は中世のものはなく、11世紀代を主体,なお、本遺跡周辺には
中世城館
跡が多く存在し、また、正応元年(1288年)などの年号や源光氏などの氏名の
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
八戸市埋蔵文化財調査報告書第6集) 1982年 26) 佐々木達夫 「遺跡出土陶磁器の研究-北日本
中世城館
跡,日本海の陶磁交易」(日本海文化8号) 1981年 佐々木達夫 「遺跡出土陶磁器の研究-北日本
中世城館
跡, 盛田稔編 『日本城郭体系2 青森・岩手・秋田』 1980年 *19 青森県教育委員会 『青森県の
中世城館
,1992年 *37 *33に前掲 *38 工藤清泰 「浪岡城跡の発掘調査成果から見た北日本における
中世城館
研究
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
現在は、直接この腰曲輪mを登って頂上に達する道路が造られているが、
中世城館
の通路としては不自然であり、,この段は、戦闘時に重い甲冑を着た敵兵の前進を妨害するためのもので、
中世城館
特有の工夫である。
資料編1(古代・中世編)
((3)城館の構造)
このように国吉館跡は、
中世城館
としては比較的単純な造りで、戦争に備えた城郭ではなく、領主が日常居住する
通史編1(古代・中世)
(大浦城築城以前の城館跡)
図72 高館城跡見取図 『青森県の
中世城館
』の図面に加筆修正 (下国〈安東〉義孝陣城とも伝えられる
通史編1(古代・中世)
(種里城と町)
種里城跡は現在でも
中世城館
跡の面影を色濃く残している。
資料編1(古代・中世編)
(五 乳井地区の城館群と宗教的領域)
図51 乳井地区の
中世城館
と寺社・集落の分布 興味深いのは、近世の「乳井通り」=中世の奥大道が
通史編1(古代・中世)
(城館タイプの分類)
城館タイプの分類 一五世紀末~一六世紀になってから青森県内の
中世城館
跡は、その機能や役割によってさまざまなものに
資料編1(考古編)
(7.小友遺跡)
(5)遺跡の性格 昭和55年の発掘調査の結果では、本遺跡(小友館跡)の性格は
中世城館
を示す明確な根拠
資料編1(古代・中世編)
([付図])
弘前市内の板碑 番号は,資料編1「古代・中世編」第4章の板碑一覧と対応 弘前市及び周辺の
中世城館
跡
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
特に、青森県においては、城郭の体系化*18や
中世城館
の分布調査*19が行われ、城館研究と中世考古学研究
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
作成 図65 藤崎城墟図 藤崎城誌 図66~71 作成 図72 『青森県文化財調査報告書 青森県の
中世城館
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
第二は「内館」という主郭を思わせる曲輪の名称で、事実、県内の
中世城館
を見ても、この名称は城の中心部分に
資料編1(考古編)
(1.境関館遺跡)
境関館遺跡の地形 図102 境関館遺跡の概要 (3)発見の経緯・歴史環境 「青森県の
中世城館
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