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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(王朝国家論)
それは
中央政府
が地方政治の内実にほとんど関心を示さなくなってきたことから生じているのであって、
中央政府
,つまり
中央政府
は地方を任せた国司に対して、その政治に口を出さなくなり、国司から中央への貢納物さえ全うされればそれで,
中央政府
はとにかく収入さえ得られれば、その収入をどのような手段で国司が農民から搾取し、またその陰でいかに,こういった地方政治の実際と
中央政府
の政策とが乖離(かいり)するというなかで、古代から中世へと時代が大きく,つまり一〇世紀からのちというのは、
中央政府
が地方政策を放棄する時代であったといっても過言ではない。
通史編1(古代・中世)
(北の富の搾取)
中央政府
による朝貢要求がなくなったことは、中央の側では対蝦夷融和策に転換していることを意味する。 ,あるいは
中央政府
もこうした実態を知っていたのであろうが、既述したように、当時は地方政治に介入しないのが,それは既述したように、
中央政府
が地方政治にまったく関心を持たなくなっていたからで、地方政治の実状は、中央
通史編1(古代・中世)
(交易雑物制)
交易雑物制 律令国家が変容して、摂関政治の時代になると、
中央政府
の財政制度も大きく変質し、律令制下の
通史編1(古代・中世)
(田村麻呂と青森)
中央政府
の東北経営が、現在の青森県域内の地にかかわるようになってくるのは、文室綿麻呂の時代まで待たなくてはならない
通史編1(古代・中世)
(摂関政治の時代)
摂関政治の時代 一〇世紀は、
中央政府
による大規模な征夷事業が九世紀で終焉を迎えたことを受けて、北の世界,にみる精致な法体系によって運用された、天皇を中心とする中央集権的な律令国家はもはやその維持が困難になり、
中央政府
通史編1(古代・中世)
(エゾ=アイヌ)
められると、北の境界線が確定することになるが、それに伴って、当時の日本国の境界のさらに北に住む人々を、
中央政府
,常呂川河口遺跡の住居跡(北海道常呂町) 写真67 オホーツク文化の墓(北海道常呂町)
中央政府
通史編1(古代・中世)
(境界の北進)
また湾曲しながらも基本的に南北に細長く伸びる日本列島の場合には、
中央政府
の領域支配の拡大とともに、南北
通史編1(古代・中世)
(鎮守府将軍源頼義)
鎮守府将軍源頼義 安倍氏を押さえるため、
中央政府
は登任に代えて、源頼義を陸奥守とし、また彼に鎮守府将軍
通史編1(古代・中世)
(防御性集落の消滅)
写真68 福島城跡(市浦村) 方形区画といえば、東北地方に
中央政府
によって設置された城柵との類似性,しかしこれだけの規模の
中央政府
側の施設であるならば、何らかの記録が残るであろうし、それを直接に裏づける
通史編1(古代・中世)
(伊治公呰麻呂の乱)
のちに陸奥介、陸奥守と昇進し、宝亀八年以来按察使の任にあり、またこの前年には参議(さんぎ)となっていて、
中央政府
,
中央政府
は早速征討軍を組織し、坂東の兵力を結集した。
通史編1(古代・中世)
(陸奥・出羽の在庁官人たち)
在庁官人たち 九世紀まで、北の世界は、ついに律令国家体制には組み込まれなかったのであるが、一〇世紀後の
中央政府
,坂上田村麻呂の時代までは、
中央政府
の政策として、「柵戸(さくこ)」という形で積極的に和人を蝦夷の住む地域
通史編1(古代・中世)
(津軽への注目)
阿倍比羅夫以来、「賊をもって賊を伐つ」「夷をもって夷を撃つ」のは、強固な部族連合、さらには国家まで形成して
中央政府
通史編1(古代・中世)
(鎮守府将軍秀衡)
)の上では、安元二年(一一七六)に鎮守府将軍の地位はすでに陸奥守藤原範季(のりすえ)に移っていたが、
中央政府
通史編1(古代・中世)
(契丹との関係)
当時の
中央政府
のなかにも、東アジアの動乱が日本国内に波及するという認識、内政と外圧が連関するという認識
通史編1(古代・中世)
(足利幕府の奥羽支配)
から陸奥守へと、それぞれ相手の制度的拠点を奪い合いながらも、結局は同一の奥羽掌握策をとっているわけで、
中央政府
通史編1(古代・中世)
(清原氏の登場)
征討の進まない頼義に対して、
中央政府
は、後任に高階経重(たかしなのつねしげ)を充てる(史料四四七)。
通史編1(古代・中世)
(後三年合戦)
一方、
中央政府
は義家の介入を「私闘」として公戦とは認めず、論功行賞を行わなかったばかりか、荘園の寄進や
通史編1(古代・中世)
(津軽、「日本史」の舞台へ)
津軽、「日本史」の舞台へ 七世紀になると、
中央政府
によって編まれた正史である『日本書紀』に、現在の津軽地方,大和政権の新都である難波長柄豊碕(ながらとよさき)宮(現在の大阪城公園のあたり)において「柵養(きこう)(
中央政府
通史編4(近・現代1)
(士族授産事業の成立と展開)
開業後の農牧社には、農商務省農務局長の田中芳男らが来場して視察するなど、
中央政府
から援助を受け、また、
通史編1(古代・中世)
(阿倍比羅夫の登場)
七世紀後半から八世紀初めには、北ばかりでなく奄美方面の南島にも覓国使(くにまぎし)が派遣され、
中央政府
,
中央政府
の命、少なくとも諒解を得ている正規の派遣である。
通史編1(古代・中世)
(四 中世津軽の宗教世界の特色)
このなかの「俘囚」とは、「蝦夷」のうち、何らかの形で
中央政府
に投降・服従した「蝦夷」を指す。,思うに、桃生郡を周縁とする「みちのく」のなかの「俘囚」と「夷俘」たちは、
中央政府
という上から、脱「蝦夷,依然、
中央政府
にまつろわぬ「蝦夷」たちは、「蝦夷」(エミシ)のまま、北へ北へと追いやられてゆく。
資料編1(古代・中世編)
(-例言-)
一、文献史料としては、古代においてはおおむね陸奥・出羽国関係の史料から、
中央政府
による東北経営に関するものと
通史編1(古代・中世)
(蝦夷首長阿弖流為)
(しちょう)が大変だとか(史料二〇六)、胆沢を荒墟にしただとか(史料二〇七)勝手なことをいいながら、
中央政府
通史編1(古代・中世)
(稀有な北の富)
稀有な北の富 そうした全国的な再編成のなかでは北の蝦夷の世界も例外ではなく、たとえば陸奥国から
中央政府
通史編1(古代・中世)
(渡嶋津軽津司)
律令制下では
中央政府
内の「司」という段階の役所の長は、だいたい六位クラスの役人の職であり、鞍男がこの津司
通史編4(近・現代1)
(弘前の紛紜の裏面)
一方、山田秀典は、自分の方針は
中央政府
の承認のもとに進められたことであると言っている。
通史編1(古代・中世)
(東北地方の古墳文化)
東北地方の古墳文化
中央政府
を基準とした日本史の時代区分では、弥生時代に続いて、三世紀末ころから古墳時代
通史編4(近・現代1)
(断髪)
(前掲『青森県史』第八巻) この告諭は、おそらく
中央政府
からの通達文そのままであろうが、これで見ると
通史編1(古代・中世)
(「蝦夷・蝦狄」表記の創造)
天武天皇の時代以後になると、奄美(あまみ)以南の南島にも
中央政府
の使が派遣され、朝貢を促している。
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