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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(4.中崎館遺跡)
中崎館
遺跡掘立柱建物跡(1) 図49
中崎館
遺跡掘立柱建物跡(2) 図50
中崎館
遺跡掘立柱建物跡,64
中崎館
遺跡出土擦文土器 図65
中崎館
遺跡出土鉄器・古銭 図66
中崎館
遺跡,
中崎館
遺跡SD01堀跡
中崎館
遺跡ST01竪穴遺構
中崎館
遺跡遠景,
中崎館
遺跡全景
中崎館
遺跡調査区全景
中崎館
遺跡掘立柱建物跡・溝跡,
中崎館
遺跡SE04井戸跡
中崎館
遺跡SE08井戸跡(井筒出土状況) 図71
中崎館
遺跡出土 / 4.
中崎館
遺跡
通史編1(古代・中世)
(中崎館の鉄製品)
中崎館
の鉄製品
中崎館
の出土遺物をみて、不思議なことに食生活のための鉄鍋の類がほとんど出土していないことに,写真84
中崎館
遺跡出土の鉄製品 その理由としては鉄の再加工という行為が関係していると考えられる,ところが北日本・津軽地域の遺跡では、たとえば
中崎館
のように、農具(鎌・鋤先)やカラムシの繊維製作に使った /
中崎館
の鉄製品
資料編1(考古編)
(1.12世紀の様相)
えられるものは認められず、少なくとも12世紀代と想定される製品に、蓬田大館遺跡・高館遺跡・浪岡城内館・
中崎館
遺跡,では中国製白磁小皿、浪岡城内館では中国製白磁四耳壺・合子・碗と須恵器系甕・常滑渥美系甕及びかわらけ、
中崎館
遺跡,カラー図1
中崎館
遺跡出土陶磁器(1) 1~6青磁(表裏) カラー図2
中崎館
遺跡出土陶磁器,(2) 1~10白磁(表裏) カラー図3
中崎館
遺跡出土陶磁器(3) 1~6珠洲鉢、7~9珠洲壺,カラー図4
中崎館
遺跡出土かわらけ(表裏) 図5 陶磁器写真・実測図(1) 1
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
図47
中崎館
遺跡遺構配置図 図48
中崎館
遺跡掘立柱建物跡(1) 図49
中崎館
遺跡掘立柱建物跡,
中崎館
遺跡出土鉄器・古銭 図66
中崎館
遺跡SD01堀跡出土鉄器 図67
中崎館
遺跡井戸跡出土井筒,図68
中崎館
遺跡出土木製品(折敷・瓢箪製杓子) 図69
中崎館
遺跡出土石製品 図70
中崎館
遺跡出土砥石,写真
中崎館
遺跡SD01堀跡 写真
中崎館
遺跡ST01竪穴遺構 写真
中崎館
遺跡遠景 写真 ,
中崎館
遺跡全景 写真
中崎館
遺跡調査区全景 写真
中崎館
遺跡掘立柱建物跡・溝跡 写真
中崎館
遺跡
通史編1(古代・中世)
(竪穴から掘立柱へ)
竪穴から掘立柱へ
中崎館
においてはカマド付きの竪穴住居はまったく認められず、かわりに掘立柱建物跡を中心,図35
中崎館
遺跡の遺構変遷 Ⅰ期 居住区内に区画性が薄弱で小さい掘立柱建物跡が数棟存在するだけである,
中崎館
遺跡は陶磁器やかわらけの出土によって年代的な面が理解できるとともに、饗宴を催した空間であることにも,もし
中崎館
が饗宴を行うという政庁的な機能を有していたとすれば、このような居住空間の構成を変える要因に関,以上のように一三世紀前半を主体年代とする
中崎館
遺跡は、該時期の遺跡として建物跡の規模・配置と使用されていた
通史編1(古代・中世)
(農の道具)
中崎館
では鍬先や鎌、境関館では鎌、堀越城では鍬の木製柄の部分や横杵(よこきね)(砧(きぬた))・槌(つち,
中崎館
でも曲線刃の例があり古代の形態に近い。
資料編1(考古編)
(-農具-)
鋤先・鍬先は、津軽地方では
中崎館
(弘前市)・荼毘館(同)・独狐(同)をはじめとして約20遺跡で出土している,この中でも古代前期(7~8世紀)には李平下安原遺跡が、また古代末期(12世紀)には
中崎館
遺跡のものが相当,7~11世紀のものは形状でも大きな変化が認められないが、12世紀の
中崎館
遺跡のものでは刃部幅が広くなり
通史編1(古代・中世)
(調査された館)
弘前市域では現在まで五〇ヵ所の中世城館が確認されており、
中崎館
をはじめ石川城(楯)(写真178)・福村城, 福村城跡航空写真 しかしながら、発掘面積は少なく、明確に中世段階の生活痕を確認した調査は、
中崎館
資料編1(考古編)
((4)12世紀代)
本県の遺跡は、青森市内真部(うちまっぺ)遺跡、弘前市境関館遺跡、浪岡城内館跡、市浦村十三湊遺跡、弘前市
中崎館
遺跡,中でも、弘前市
中崎館
遺跡は、平泉藤原氏の政庁跡とされる柳之御所跡との関係が極めて強く認められる点で注目,特に、弘前市
中崎館
遺跡においては、各遺物が質・量ともに平泉の都市域のそれに準ずるものと言えよう。
通史編1(古代・中世)
(かわらけと陶磁器)
かわらけと陶磁器
中崎館
遺跡から出土する遺物のなかでもっとも特色のある遺物が「かわらけ」(写真80),写真80
中崎館
遺跡出土のかわらけ この「かわらけ」が一二世紀後半から一三世紀前半にかけて、弘前,たとえば、浪岡城跡内館(うちだて)と
中崎館
遺跡の出土遺物を比較すると、前者は四耳壺(しじこ)の主体が白磁,写真81
中崎館
遺跡出土の青磁 図32 かわらけの法量(寸法)比較および分類と特徴 ,浪岡城跡内館の陶磁器の組み合わせとかわらけの法量は、平泉遺跡群における一二世紀後半の遺物群に類似し、
中崎館
遺跡
資料編1(考古編)
(-中世Ⅰ期(12世紀代)-)
中崎館
遺跡・内真部遺跡・蓬田大館遺跡・浪岡城内館跡・独狐遺跡・十三湊遺跡等であり、そのほとんどは津軽地方,このうち、
中崎館
・内真部・蓬田大館・浪岡城内館・矢立廃寺においては、大小2種類で、2技法をもった在地及
資料編1(考古編)
((1)東北地方南部以南との交易・交流)
特に
中崎館
遺跡(弘前市)においては、各遺物が質・量ともに平泉の都市域に準ずるものであり、この遺跡は、平泉,この時期の搬入品としては、「京都系かわらけ」(
中崎館
・浪岡城内館・蓬田大館・内真部)、常滑・渥美系の瓷器系陶器,(蓬田大館・
中崎館
・浪岡城)、珠洲等の須恵器系陶器(境関館・浪岡城・蓬田大館・
中崎館
・源常平)などがある,一方、中国製磁器は白磁の碗・皿類(蓬田大館・浪岡城・境関館・十三湊・内真部・
中崎館
)、四耳壺(浪岡城内館,)があり、また、青磁の碗・皿類(境関館・
中崎館
・蓬田大館)もある。
通史編1(古代・中世)
(住の道具)
井戸の作事をみると、
中崎館
のように曲物を井筒として使用したり(写真174)、浪岡城では隅柱にほぞ穴を穿,写真174
中崎館
遺跡出土の井筒 井戸から汲み上げた水を貯蔵するものとして、陶器の甕や曲物が使,
中崎館
からは瓢箪(ひょうたん)を加工した杓子(しゃくし)も出土しており、曲物杓子だけでなく水を飲んだり
資料編1(考古編)
(7.陶磁器の組成)
弘前市内の遺跡を中心として12世紀から17世紀代の比率を見ると、12世紀後半を主体とする
中崎館
では陶磁器,世紀になると荼毘館のように青磁・白磁の舶載陶磁器と、瀬戸・珠洲・越前・渥美などの国産陶磁器が認められ、
中崎館
,表3 青森県内遺跡出土陶磁器数(破片により集計)
中崎館
荼毘館 境関館 独狐 遺跡 堀越城 尻八館
通史編1(古代・中世)
(四耳壺の出土)
へ搬入された四耳壺をみると、白磁四耳壺は浪岡城跡内館、瀬戸四耳壺は市浦村・伝山王坊遺跡、珠洲四耳壺は
中崎館
遺跡,このうち、一定量のかわらけとともに出土するのは浪岡城跡内館と
中崎館
遺跡だけであり、酒宴の器と見なすことができる,瀬戸四耳壺(伝山王坊) 3 珠洲四耳壺(平賀町) 4 珠洲四耳壺(浪岡町源常平) 5 珠洲四耳壺(
中崎館
資料編1(考古編)
(第3節 中世・近世の住居と集落)
現在把握できる中世の構造物としては、
中崎館
の掘立柱建物跡が最も古いとされている。 ,57 矢館跡 七戸町 16 掘立・竪穴 城館 60 堀越城跡 弘前市 16 掘立・竪穴 城館 61
中崎館
跡
資料編1(考古編)
((4)12世紀)
は、青森県内でこれまで16例発見されているが、調査されて遺構の内容が把握されているものは2例(弘前市
中崎館
遺跡
資料編1(考古編)
(-農業生産物-)
〔米〕 米の津軽地方でのこの時期の出土例は、
中崎館
(弘前市)・荼毘館(だびだて)(弘前市)・石上神社(,②
中崎館
遺跡(12世紀後半代)の出土米はバラツキが小さく、特に粒形が揃っており、かなり純度の高い栽培種,粒) 粒長 (mm) 粒幅 (mm) 粒厚 (mm) 粒長/粒幅 粒長×粒幅 時代
中崎館
通史編1(古代・中世)
(その他の城館跡)
また発掘調査によって一二世紀から一三世紀にかけて使われたことが明らかとなった中崎(なかさき)館跡(
中崎館
遺跡
通史編1(古代・中世)
(三 考古学からみた中世的世界)
弘前市域で、この時期を主体とする遺跡は
中崎館
(なかさきだて)遺跡であり、豊富な出土品や検出された遺構から
資料編1(考古編)
(3.野脇遺跡)
12世紀後半から13世紀前半の遺跡として著名な
中崎館
遺跡の南西120mにあり、月夜見橋に隣接して中崎集落,野脇遺跡位置図と航空写真 (3)発見の経緯 後長根川の背水堤を建設するための改修工事予定地に、
中崎館
遺跡,野脇遺跡が存在したため、建設省東北建設局青森工事事務所から依頼され青森県教育委員会が記録保存の立場から、
中崎館
遺跡,(4)歴史環境
中崎館
遺跡から出土している12世紀後半から13世紀前半の各種遺物は、野脇遺跡からも中世,) 図127 野脇遺跡遺構変遷図(2) 12~13世紀では、SB12が単独で存在し
中崎館
通史編1(古代・中世)
(戦いの道具)
市内の遺跡では、古代の遺物が出土している小友(おとも)遺跡でも古い形態の小札が一点(写真177)、
中崎館
遺跡
通史編1(古代・中世)
(擦文文化の終末年代)
しかし、一二世紀中葉に構築され、一二世紀末から一三世紀前半に終末を迎えた可能性が高いとされる弘前市
中崎館
遺跡堀跡
資料編1(考古編)
((11)その他の生活用具)
火打金は12世紀の
中崎館
遺跡(弘前市)、11世紀の古館遺跡(碇ヶ関村)から出土している。
通史編1(古代・中世)
(城館発掘の成果)
城館発掘の成果
中崎館
に関しては、すでに第四章第一節第五項でみたように、古代から中世への移り変わりがわかる
通史編1(古代・中世)
(埋納銭の出現)
写真85 浪岡城跡出土の埋納銭 弘前市域の遺跡でも、
中崎館
遺跡では元豊通宝(げんぽうつうほう),遺構などからまとまって出土する場合は、宗教的な観点から意図的に埋めたと考えられる事例もあるが、
中崎館
・
資料編1(考古編)
(〈地域的な差〉)
12世紀段階の遺跡として特色のある
中崎館
遺跡*37では、その出土遺物が12世紀後半代に集中しているにもかかわらず
通史編1(古代・中世)
(本州の擦文文化の実態)
溝跡、一一世紀代を主体とする荼毘館(だびだて)遺跡第一〇一号竪穴住居跡や境関館遺跡、あるいは後に触れる
中崎館
遺跡
資料編1(考古編)
(〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)
防御性集落 〃 10C後~11C 3
中崎館
遺跡 〃 中崎字川原田 集落?
通史編1(古代・中世)
(安藤氏の所領)
弘前市三世寺の付近には、平泉政権と密接なかかわりを有するものと思われる
中崎館
遺跡が存在する。
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
左組遺跡 七戸町 13 陶磁器 74 60 堀越城跡 弘前市 16 陶磁器・木製品・他 9ほか 61
中崎館
跡
資料編1(考古編)
([口絵])
砂沢遺跡出土土器(弥生前期) 砂沢遺跡全景 蕨手刀(熊野奥照神社蔵)
中崎館
遺跡全景
資料編1(古代・中世編)
([付図])
志戸野沢館 75 銀館〔杉銀館〕 11 蒔苗館 76 水木館 12 三世寺館 77 藤崎城 13
中崎館
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
大光寺新城跡遺跡発掘調査報告書第2次発掘調査』(平賀町埋蔵文化財報告書第19集) 1990年 70) 青森県教育委員会 『
中崎館
遺跡,・ほか 『荼毘館遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第110集) 1988年 *33 岡田康博・ほか 『
中崎館
遺跡
資料編1(古代・中世編)
(二 本章で取り上げる中世城館跡)
(3)藤代地区 ⑫三世寺館(三世寺字色吉)、⑬
中崎館
(中崎字川原田)、⑭町田館(山吹の平館、町田字山吹
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
独狐遺跡*30、境関館遺跡*31、荼毘館遺跡*32、
中崎館
遺跡*33、野脇遺跡*34、の各遺跡では、県内
資料編1(考古編)
((2)太平洋戦争後から現代まで)
中でも製鉄関連遺跡の鰺ヶ沢町杢沢遺跡*318(昭和63年・1988)、奥州藤原氏期の城館である弘前市
中崎館
遺跡
資料編1(考古編)
(第6節 金属製品)
発掘面積 鉄製品の出土数 1m2あたり出土数
中崎館
遺跡 2,730m2 45 0.016
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
青森県埋蔵文化財調査報告書第102集 境関館遺跡』1987年・『青森県埋蔵文化財調査報告書第129集
中崎館
遺跡
資料編1(考古編)
([付図])
59-9 城館跡 平安 02065 三世寺遺跡 弘前市大字三世寺字色吉8 包含地 平安 02067
中崎館
遺跡,大石神社遺跡 弘前市大字大森字勝山 岩木山北東麓斜面 包含地 縄文(晩期) 縄文土器 52 02067
中崎館
遺跡
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
だびだて)遺跡(一九八五・八六年発掘、十四~十五世紀=鎌倉時代)(141)、弘前市中崎(なかざき)の
中崎館
遺跡
資料編1(考古編)
(新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)
498 3.石川長者森遺跡 ………………………………… 507 4.
中崎館
遺跡
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
『荼毘館遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一一〇) 一九八八年三月 (142)青森県教育委員会 『
中崎館
遺跡
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
274 田才雅彦 「北大式土器」(北奥古代文化第14号) 1983年 *275 青森県教育委員会 『
中崎館
遺跡
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