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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (久渡寺)

久渡寺 久渡寺(くどじ)は観音院の別当であった。小沢村に創建され、のちに現在地へ移る。 / 久渡寺
資料編1(考古編) (23.久渡寺流紋岩部層※Ⅲ)(くどじりゅうもんがんぶそう))

23.久渡寺流紋岩部層※Ⅲ)(くどじりゅうもんがんぶそう) 岩井(1965)の命名による。,模式地は、弘前市南西の久渡寺山。模式地周辺に分布する。 / 23.久渡寺流紋岩部層※Ⅲ)(くどじりゅうもんがんぶそう)
資料編1(考古編) (13.大和沢層※Ⅲ)(おおわさわそう))

弘前市南西の久渡寺山を構成する久渡寺流紋岩(岩井,1965)は、本層の中~下部と指交*33関係にある。
通史編3(近世2) (真言宗)

図194.真言宗本末関係図  藩では、最勝院・百沢寺・国上寺・橋雲寺・久渡寺を津軽における真言宗
通史編3(近世2) (居開帳)

寛政三年(一七九一)、九代藩主津軽寧親は襲封後の野駆(のがけ)の途中、久渡寺に立ち寄った時に開帳が行われた,久渡寺は、享保五年(一七二〇)八月十八日の正観音の開帳を、藩庁に願い出ていないことが問題とされた。,これに対する久渡寺からの回答は次のようなものであった。①観音懺悔供養の依頼があった時は開帳してきた。,ところが、久渡寺より宝暦九年(一七五九)九月、三三年目の開帳を願い出ると、藩庁は天気不順で農作業に支障,図27.久渡寺  清水寺観音では、宝暦十二年(一七六二)五月の開帳願いが、郡・勘定両奉行によって
通史編3(近世2) (高岡霊社の宝蔵・弘前城の金蔵へ侵入)

高岡霊社の宝蔵・弘前城の金蔵へ侵入 真言宗久渡寺(くどじ)(現市内坂元)の役人の今庄太郎は、安政三年,それが発覚したのであろうか、二十七日には久渡寺の居間で腹を切って自殺を図り、二十九日に死亡した(同前安政三年十一月二十八日条
通史編3(近世2) (観音信仰)

このうち、久渡寺(現市内坂元、第一番札所)・十腰内(とこしない)(現市内十腰内 巖鬼山(がんきさん)神社
通史編1(自然・原始) (深海に堆積してできた地層)

地層は弘前付近では栩内(とちない)川層または大和沢(おおわさわ)層と呼ばれていて、大和沢付近の丘陵から久渡寺山,小栗山(こぐりやま)神社付近の丘陵は、ほとんどこの硬い泥岩(硬質泥岩)からできており(写真57~59)、久渡寺山,例えば久渡寺山の脇の沢に露出する泥岩の中からは魚の化石が、松木平付近の泥岩からは、二枚貝や木の葉の化石
通史編3(近世2) (弘前市内寺院所蔵の彫刻・絵画)

また、久渡寺蔵の絹本墨画淡彩反魂香図(通称幽霊図)は日本中にあまたある伝円山応挙(まるやまおうきょ)筆幽霊図中,ないことだけでなく、とかく際物扱いを受けることが多い幽霊画の中で、絵画として高く評価し得る作品と認められた点に久渡寺本
通史編5(近・現代2) (イタコ)

さらに、「久渡寺のオシラ講の習俗」が国の「選択」を平成十一年十二月に受けた。  
通史編3(近世2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

青森県弘前市) 加福不動寺(青森県弘前市) 巖鬼山神社(青森県弘前市) 環境省京都御苑管理事務所 久渡寺
通史編1(自然・原始) (弘前でみられる最古の地層)

弘前でみられる最古の地層 弘前市内で最も奥まったところである大和沢川の上流部は、久渡寺山や毛無山(けなしやま
通史編3(近世2) (民衆の動揺)

は約三六キロメートルほどの距離だが、八月二十七日には大円寺(だいえんじ)(現最勝院)五重塔の番僧から久渡寺
通史編1(古代・中世) (二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)

久渡寺 真言宗 最勝院 未詳 円智 坂本村 (弘前市) 坂元 慈覚大師の聖観音を安置していた。,「弘前中世寺院」のなかで最も古いのは真言宗の久渡寺であるが、これも本来的には前項一で検証したように、円智,この天台宗から真言宗への改宗を伴う久渡寺に次いで伝えるのは、藤崎町の護国寺の旧跡の満蔵寺である。  
通史編3(近世2) (学校造営)

間もなく校舎の造営が始まり、久渡寺の杉並木をはじめ、大鰐・金木・岩崎・赤石の各地から大木、大石の建築資材
通史編1(自然・原始) (一 弘前市の位置および外形)

メートル)・尾開(おびらき)山(五〇九メートル)などの山稜(さんりょう)が、相馬村と境する稜線の延長部には久渡寺山
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

「此山往昔円智上人唐僧開基阿遮羅山」(写真138)と伝え、後者に関し『新撰陸奥国誌』は、その別当寺の久渡寺,同右 不詳 僧円智の創立とも 真言五山寺 (4) 橋雲寺 同右 慶長六年 真言五山寺 (5) 久渡寺,理解されるように、古代~中世に建立された寺院の総数は五八にも及び、そのうちの百沢寺、最勝院、国上寺、久渡寺,また久渡寺も、『新撰陸奥国誌』の伝にしたがえば、僧円智が小沢山救度寺(くどじ)と称して創立したという。,写真139 『津軽一統志』百沢寺  変転を重ねたこれら真言寺院と伝えられる寺院も、国上寺および久渡寺
通史編3(近世2) (大社の神仏分離)

ほかに古懸(こがけ)不動尊別当の国上寺(こくじょうじ)(現南津軽郡碇ヶ関(いかりがせき)村)、観音堂別当久渡寺
通史編1(自然・原始) (石油を生み出した地層)

弘前市の南方、大和沢付近から久渡寺山のふもとに分布するこの時代の地層には、火山灰が降り積もってできた地層
通史編3(近世2) (二代信枚)

ひゃくたくじ)、国上寺(こくじょうじ)(現南津軽郡碇ヶ関村)、橋雲寺(きょううんじ)(現中津軽郡岩木町)、久渡寺
通史編1(自然・原始) (桔梗野面)

桔梗野面の扇央部から扇端部にかけての地形をみると、県道久渡寺新寺町線の若葉・大原から樹木にかけては一〇〇〇
通史編2(近世1) (野本道玄の招聘)

8月,樹木派立より久渡寺にかけて,60余町歩桑園を開く(現在,野元の地名あり。)
通史編5(近・現代2) (藤森市政の財政)

市の重点施策となり、鷹揚園(ようようえん)(弘前公園)、大仏(だいぶつ)公園・座頭石(ざとういし)・久渡寺,四十三年度には市制施行八十周年の記念事業として久渡寺一帯に「子供の森」というレクリエーションの場が三ヵ
通史編1(自然・原始) (山の上にみられる大昔に川が流れていた跡)

(国土地理院発行2万5千分の1地形図「久渡寺」を使用)  砂利のみられるところを境に、その下にある
通史編3(近世2) (稽古館の儒学者たち)

嘉永四年帰郷し、久渡寺住職海叟の招きによって徒弟を教育した。
資料編1(考古編) (第4節 弘前地域内の地質系統の放射年代一覧表)

5.4±0.8Ma (K-Ar法・黒雲母) 西津軽,中村川 須崎・箕浦 (1992) 久渡寺流紋岩
通史編5(近・現代2) (昭和弘前市民の一側面)

座頭石、③法峠(ほっとうげ)、④弘前公園、⑤乳井神社、⑥岩木山、⑦芦野公園、⑧愛宕山、⑨御幸公園、⑩久渡寺
通史編1(古代・中世) ([付図])

公園・畑 散布地・城館跡 縄文・平安・中世 39 笹森山遺跡 小沢字山崎 山林 包蔵地 縄文 40 久渡寺遺跡,久渡寺 〃 〃 〃 41 野際遺跡 下湯口字野際 畑 〃 〃 42 寺ヶ沢遺跡 大沢字寺ヶ沢68の1
通史編3(近世2) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

国立公文書館蔵内閣文庫 24 弘前市立図書館蔵一般郷土資料 25 個人蔵 26 個人蔵 27 弘前市 久渡寺
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

であった藤崎・碇ヶ関・大鰐地区においても、大聖不動明王・聖観音を筆頭とする天台宗系の諸社と、国上寺や久渡寺,『津軽一統志』の「神社 仏閣」項が、天台僧=円智上人にかかわる大聖不動明王・聖観音・国上寺・久渡寺などの
通史編2(近世1) (林政の展開と漆木の栽培)

杉・松等を和徳組小沢村へ年2500本ずつ,久渡寺(現坂元)境に年1700本植樹を命じる。
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

          21.貝吹山デイサイト          22.王余魚沢層          23.久渡寺流紋岩部層
資料編1(考古編) ([付図])

笹森山遺跡 弘前市大字原ヶ平字山中406-1 台地南斜面 包含地 縄文(後期) 縄文土器 33 02040 久渡寺遺跡
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