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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編3(近世編2) (●隣松寺 久祥院殿位牌堂 西茂森二丁目--県重宝)

●隣松寺 久祥院殿位牌堂 西茂森二丁目--県重宝 元禄年間(一六八八~一七〇四)に津軽四代信政が、その,実母久祥院殿のために菩提寺の隣松寺に寄進したものである。   / ●隣松寺 久祥院殿位牌堂 西茂森二丁目--県重宝
通史編3(近世2) (隣松寺)

信政は元禄五年(一六九二)、母久祥院が死去すると、ここに廟所を築き、寺領一〇〇石を寄進した。
通史編3(近世2) (紙漉町熊谷喜兵衛)

この喜兵衛が史料に初めてみえるのは、天和二年(一六八二)、次いで貞享四年(一六八七)二月、北の丸久祥院御殿
通史編3(近世2) (江戸時代末期の建築)

その後、袋宮寺の本堂や久祥院殿の位牌堂の建立の際にもその技法は使われ、高照神社の各建築へと伝えられていった
通史編3(近世2) (江戸時代中期の建築)

久祥院殿(きゅうしょういんでん)の位牌堂(いはいどう)(隣松寺(りんしょうじ))は、建築ではないが、建築型,元禄年間(一六八八~一七〇四)に四代信政が、その実母である久祥院殿のために造らせて、隣松寺へ寄進した。
通史編3(近世2) (能楽)

図32.弘前城本丸御殿絵図の能舞台  翌三日には、信政の生母久祥院と三代藩主信義の側室長泉院・全久院
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

たつみのやぐら)で辰刻(八時ころ)から午刻(うまのこく)(正午)まで料理の入った重箱を前にして見物したが、生母久祥院
通史編3(近世2) (二 藩主の日常生活)

来年四月四日の久祥院(きゅうしょういん)(四代藩主信政の生母)一〇〇回忌法要は五〇回忌法要の時と同様に
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