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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (九戸一揆の意義)

九戸一揆の意義 九戸一揆鎮圧後、しばらく浅野長吉や蒲生氏郷らの仕置軍は南部領に駐留し、逃散した百姓の,しかし、信直にとっては九戸一揆の鎮圧により、自己の権力に対立する国人衆を掃討し、豊臣政権の直接的仕置と,九戸一揆鎮圧後の動揺の中で、為信の家臣が南部領へ侵入するという危機感が当時はあったのであるが、この際にも / 九戸一揆の意義
通史編2(近世1) (九戸一揆の始まり)

九戸一揆の始まり 奥羽の各地で一揆が勃発するなか、天正十九年正月、南部氏の居城三戸城では恒例の年賀の,らと同心し、糠部郡の一戸・苫米地(とまべち)・伝法寺(でんぽうじ)の城館に夜討ちを仕掛け、ここについに九戸一揆,信直自身、九戸一揆が九戸政実や櫛引清長ら国人衆の宗家に対する「逆心(ぎゃくしん)」だけで引き起こされたのではなく,図9.九戸城全景  この九戸一揆は、明らかに豊臣政権の惣無事令(そうぶじれい)違反であり、なおかつ / 九戸一揆の始まり
通史編2(近世1) (九戸一揆の鎮圧)

九戸一揆の鎮圧 九月一日、家康より派遣された井伊直政(いいなおまさ)を含む仕置奉行の堀尾吉晴・浅野長吉,ことごとく)なてきり」にすべきよう厳命していたが(資料近世1No.二四)、まさに秀吉の仕置に従わない九戸一揆 / 九戸一揆の鎮圧
通史編2(近世1) (一 九戸一揆と動員大名)

一 九戸一揆と動員大名 天正十八年(一五九〇)七月からの奥羽日の本仕置(おううひのもとしおき)が終了 / 一 九戸一揆と動員大名
通史編2(近世1) (九戸一揆の背景)

九戸一揆の背景 戦国末期の北奥の糠部郡(ぬかのぶぐん)は、三戸南部氏を中心とした九戸氏・櫛引(くしひき / 九戸一揆の背景
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

豊臣再仕置軍の奥州下向 秀吉が、その朱印状によって正式に九戸一揆の討伐を命じたのは、天正十九年(一五九一,する一方で、その津軽氏を公権力(公儀(こうぎ))である豊臣軍の一部隊として組み入れ、惣無事令に違反した九戸一揆,ところが、葛西・大崎一揆に続いて和賀・稗貫一揆が起こり、次いで九戸一揆が起こったことによって、秀吉の再仕置,そして、いまだ独立的気運を持っていた八戸氏と東氏に九戸一揆鎮圧に精力を傾けるよう督励する一方で、伊達政宗,しだいに九戸一揆鎮圧のための配置が整いつつあった。  
通史編2(近世1) (二 肥前名護屋での「日本之つき合」)

二 肥前名護屋での「日本之つき合」 北奥の糠部郡において九戸一揆が鎮圧された直後の天正十九年(一五九一
通史編2(近世1) (一 伏見杉板の賦課)

一 伏見杉板の賦課 天正十九年(一五九一)九月の九戸一揆鎮圧から間もない十二月、豊臣秀吉は関白(かんぱく
通史編2(近世1) (奥羽大名の名護屋参陣)

家康は、天正十五年以来、関東・奥羽の惣無事令の中心に位置づけられ、九戸一揆鎮圧直後のこの時期においてもいまだ,この部隊編成は、天正十八年七月の奥羽仕置と、それに引き続き起こった九戸一揆鎮圧の部隊編成が一部改編されながらほぼ,すでに秀吉は、九戸一揆鎮圧によって、津軽為信、南部信直、そして「日の本」領主蠣崎(松前)慶広らの大名衆,東北の大名は、奥羽仕置とそれに引き続く九戸一揆鎮圧以後、豊臣政権より賦課されるまさに「際限(さいげん)
通史編2(近世1) (知行安堵)

津軽氏の場合、天正十九年六月二十日付で、九戸一揆に対する出陣の催促の朱印状が下されていることから(同前,No.三三)、この時までには津軽氏への領知の宛行は決定しており、それをもとにして九戸一揆の軍役が課せられたものと
通史編2(近世1) (伏見木幡山城の築城)

秀吉は、天正十九年(一五九一)の九戸一揆と、それに続く文禄元年(一五九二)からの名護屋参陣において、奥羽
通史編2(近世1) (浅利騒動の停戦命令)

この時秀吉は、かつて南部領の九戸一揆鎮圧以来、日本国中は私戦が堅く禁止されていたにもかかわらず、このような
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

………………  25   三 鷹献上と鷹保護 ………………………………………………  31 第三節 九戸一揆,と肥前名護屋への出陣 ……………………………  41   一 九戸一揆と動員大名 …………………………
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

翌十九年にかけて、出羽国では庄内藤島一揆、由利・仙北一揆、陸奥国では大崎・葛西一揆、和賀・稗貫一揆、九戸一揆
資料編2(近世編1) (【解説】)

豊臣政権による十六世紀後半から末にかけての奥羽日の本(ひのもと)仕置から始めて、同政権下における津軽氏の九戸一揆
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●天正十九年(一五九一)六月二十日、豊臣秀吉、津軽為信へ朱印状を下し、九戸一揆への出陣を催促する。,●天正十九年(一五九一)六月二十日、豊臣秀吉、伊達政宗へ朱印状を下し、徳川家康等、九戸一揆討伐軍の道筋,●天正十九年(一五九一)七月二十二日、南部信直、家臣野田某へ書状を下し、九戸一揆討伐の上方衆平泉到着と
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