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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (九戸一揆の鎮圧)

このため端城(はじろ)にいた兵たちは退却して九戸城に退いた。,この姉帯・根反両城陥落に引き続き、翌九月二日には早くも九戸政実をはじめ櫛引清長・七戸家国らが籠城する九戸城,九戸城に籠もる兵は約五〇〇〇人、対する仕置軍は約六万人とされており、兵站(へいたん)を整え籠城戦に優れた,九戸城は本丸・二の丸・三の丸・松の丸・石沢館・若狭(わかさ)館によって構成され馬淵川(まべちがわ)に臨,この九戸城の包囲軍は、仕置奉行の蒲生氏郷が村松に、浅野長吉は城の本丸より北の八幡社に、堀尾吉晴はその隣
通史編2(近世1) (九戸一揆の意義)

の意義 九戸一揆鎮圧後、しばらく浅野長吉や蒲生氏郷らの仕置軍は南部領に駐留し、逃散した百姓の帰村や九戸城普請
通史編2(近世1) (九戸一揆の始まり)

図9.九戸城全景  この九戸一揆は、明らかに豊臣政権の惣無事令(そうぶじれい)違反であり、なおかつ
通史編2(近世1) (城破(わ)り)

また、九戸政実の降伏後、九戸城が再普請され南部氏の居城とされた(「浅野家文書」六一号など)。  
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

このような動きの中、仕置奉行の一人である蒲生氏郷は、八月二十三日に和賀郡に着陣し、数日中には九戸城を落城
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