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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (九戸一揆の背景)

九戸一揆の背景 戦国末期の北奥の糠部郡(ぬかのぶぐん)は、三戸南部氏を中心とした九戸氏・櫛引(くしひき,将軍足利義晴(よしはる)の一字を与えられていることからも南部一族の宗家であるという地位は確定していたが、九戸氏,豊臣秀吉朱印状によって、三戸南部氏の当主信直(のぶなお)が南部氏の宗家としての地位を公認され、それ以外の九戸氏,ところが九戸氏は天正十八年七月の奥羽仕置の後も三戸氏をしのぐ勢いを持っており、当主である九戸政実(まさざね
通史編1(古代・中世) (南部晴政の登場と一族間の対立)

それには、「関東衆」として三戸南部家の当主晴政とみられる「南部大膳亮」と並んで、九戸氏の当主とみられる,九戸氏は周辺の浄法寺(じょうぼうじ)氏・久慈氏、さらに七戸氏、岩手郡の福士(ふくし)氏、八戸南部家の支族新田,このように強大な勢力を幕府によって認められていた九戸氏のほかにも、室町中期まで本家と並ぶ勢力を保っていた,晴政には五女があり、長女は信直、二女は九戸氏の当主九戸政実の弟実親(さねちか)の室となり、三女は東朝政
通史編2(近世1) (三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)

この抗争に、櫛引氏・九戸氏・七戸氏らも巻き込まれ、糠部郡は混乱に陥ったのである。
通史編1(古代・中世) (奥羽地方の戦国時代)

しかし、一族の八戸南部氏・九戸氏などは三戸南部氏に準じた勢力を保持しており、戦国大名としての支配は不安定
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

南部信直はひたすら秀吉軍の奥州下向に最後の望みをかけつつ、領内の有力な領主である野田氏に、久慈氏とともに九戸氏
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