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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(寛延の飢饉)
七、八月には米価も高騰して
乞食
が出て空き屋敷が目立つようになり、特に青森や海辺・下在新田通(現五所川原市,・北津軽郡)で
乞食
や餓死者が多かったという。 ,を設置し、三十歳以上の者に御救米を支給するなどの処置を取ったが、翌春になっても弘前では在方から飢人や
乞食
通史編2(近世1)
(天明六年以降の飢饉)
もっとも、秋田領も仙北郡(せんぼくぐん)の作柄はよかったが、大館周辺は大変悪く、
乞食
も多く出たという。,このため他散の者も多く発生し、
乞食
も多かった。,弘前でも
乞食
や行き倒れになる者や空き家も多かった(同前)。
通史編3(近世2)
(盗賊の横行)
小屋から外出中の者たちに対する取り締まりは
乞食
手の扱いであったが、数十人、百人にもなったら
乞食
手による
通史編3(近世2)
(相対死(心中))
町中引き廻し・非人手下(ひにんてか)を申し渡され、農民・町民の身分から非人の身分に落とされて、弘前城下の
乞食
頭長助
通史編3(近世2)
(施行小屋の閉鎖)
また病人一七人は馬に乗せられ、自分の生まれた村へ送り届けられ、あるいは
乞食
頭丁助(こじきがしらちょうすけ
通史編3(近世2)
((一)凶作・飢饉とその対策)
この時には城下周辺の民が、飢えをしのぐために
乞食
や非人となって城下に入りこんできたのである。
通史編5(近・現代2)
((三)佐藤紅緑の活躍)
記者時代に同紙に発表した、明治二十九年(一九九七)の「海嘯(かいしょう)の夜明」(同前No.七二一)と「
乞食
茶屋
通史編2(近世1)
(流民の発生と施行小屋の設置)
えて楮町(こうじまち)に新たに「非人(ひにん)小屋」(のち施行小屋と再び改称)を作り、足軽の管理から
乞食
頭,建物の建設も
乞食
頭に任せ、九月七日から一人に付き米三勺(一勺=一八cc)を朝夕二回粥として炊き出して配給,施行小屋が設置された場所も、かつての寛延の飢饉の際、行き倒れの者を埋葬するために
乞食
頭に与えられた土地
通史編3(近世2)
(施行小屋)
ではいかに救済人数を減らすかという方向で、新たに楮町(こうじまち)に非人小屋(後に施行小屋となる)を建て、
乞食
手
通史編4(近・現代1)
(村制度の変貌)
村制度の変貌 この時期に
乞食
、餓死者、犯罪者が著しく増加し、伝染病、離婚、身代限りが続出、村が大きく
通史編3(近世2)
(恩を仇で返し殺害・盗み)
九月六日条によれば、これまで取上村(現市内取上・三岳町・北園・学園町・松原・清原)から出していたのを
乞食
通史編2(近世1)
(飢饉の惨状)
天明五年八月に津軽を旅した真澄は、自身人肉を食べたという
乞食
の告白を聞いた。
通史編1(自然・原始)
(冷害の歴史)
凶作群となった 元文5 1710 飢 饉 低温 餓死者438人余 寛延2 1749 飢 饉 低温
乞食
通史編2(近世1)
(刑の執行)
磔・獄門・火罪(火あぶりの刑)の執行後は、そのまま三日二夜にわたりさらしとなるが、
乞食
が二人ずつ昼夜を
通史編2(近世1)
(飢饉のその後)
『平山日記』によると、天明五年はいまだ半作で、「今春も
乞食
多出候」と記録しており、先述した菅江真澄も、
通史編2(近世1)
(災害の続発とその影響)
八月に入ると逃散する百姓・町人が相次ぎ、
乞食
となって領内をさまよい、青森近辺や弘前城下にも姿をみせた。
通史編2(近世1)
(毛内宜応の「秘書 全」)
この(1)・(2)の点は、後に戸籍調査や営業規定等によって三民の計画的配分の方向に向かい、非人や
乞食
も
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