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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(乳井貢)
乳井貢
素行の思想の影響は
乳井貢
(にゅういみつぎ)(一七一二~一七九二)の場合にもみられる。 /
乳井貢
資料編2(近世編1)
(第二節 乳井貢の思想【解説】)
第二節
乳井貢
の思想【解説】
乳井貢
(一七一二~一七九二)、本名建福(一説に建富)は宝暦三年(一七五三,その殆どは昭和十年から十二年にかけて公刊された『
乳井貢
全集』全四巻(
乳井貢
顕彰会発行)に収録されている / 第二節
乳井貢
の思想【解説】
通史編2(近世1)
(乳井貢と先行思想)
乳井貢
と先行思想 乳井がその学問形成にあたって直接誰から何を学んだか、その詳細は不明である。 /
乳井貢
と先行思想
通史編2(近世1)
(二六 高岡霊験記(たかおかれいげんき))
改革の主導者であった
乳井貢
(にゅういみつぎ)の政策に批判的な立場をとっている。写本、異本が数多い。
通史編3(近世2)
(森内繁富)
森内繁富
乳井貢
、毛内宜応のほかに、弘前藩で徂徠の思想を継承した人物に森内繁富(一八三三年没)がいる,森内は漢学に広く通じ、また「
乳井貢
の算術に熟練」していたという(「遠眼鏡」『伝類』)。,配流先での行動も乳井に倣うものがあったとみえて、村人たちは「二代目の
乳井貢
」と称した(「猪俣氏筆記」『
資料編3(近世編2)
(二 思想)
宜応こと茂粛(しげとし)は、標符の発行をめぐって
乳井貢
と対立した家老毛内有衛門茂巧(しげよし)の嫡男である,(三)復政談 【解説】
乳井貢
、毛内宜応のほかに、当藩で徂徠の思想を継承したと見られる人物に森内左兵衛繁富,森内は漢学に広く通じ、また「
乳井貢
の算術に熟練」していたという。,じられたというのも奇縁であるが、配流先での行動も乳井にならうものがあったと見えて、村人たちは「二代目
乳井貢
,乳井と対立関係にあった宜応、乳井を信奉して「二代目の
乳井貢
」との聞こえがあった森内、各々の立場は異なっていたであろうが
通史編2(近世1)
(乳井の略歴)
乳井の略歴 勘定奉行
乳井貢
(にゅういみつぎ)は宝暦期の藩政を主導し、改革を断行していった。,
乳井貢
は正徳二年(一七一二)に生まれ、幼名を弥三左衛門と呼んだ。,図135.
乳井貢
画像 安永七年(一七七八)、乳井は再度勘定奉行を仰せ付けられ、胸中深く計策を秘,図136.西目屋村川原平の
乳井貢
顕彰碑 天明四年(一七八四)に乳井は許され、その後弘前城下の塩分町
通史編2(近世1)
(改革の終焉と成果)
改革の終焉と成果
乳井貢
を中心とする宝暦改革は、これまでみてきたように、藩財政の再建を第一の目的として,なお、標符(通帳)が停止される直前の同七年三月、経済的混乱のただ中にもかかわらず、
乳井貢
は新知千石を与,図145.近衛家雑事日記の
乳井貢
来訪の記事 なお、乳井は宝暦六年八月二十六日、外浜巡視に際して
通史編2(近世1)
(改革推進体制の構築)
②
乳井貢
(にゅういみつぎ)への権力集中 宝暦五年の大飢饉は藩政の動向に大きな影響を与え、改革路線は後述,かよいちょう)(標符(ひょうふ))」の発行を中心とした政策に移っていくが、その実現を可能にしたのが、
乳井貢
,さて、右に述べたような、御調方役所の設置による行政組織の再編成と、元司職
乳井貢
への権限集中による強力な
通史編2(近世1)
(銀遣いへの変更と商人の活用)
いへの変更と商人の活用 藩は上方商人から大きな借金を抱えていたが、それが累積していく大きな要因として
乳井貢
,なお、標符発行にかかわる
乳井貢
の貨幣観や思想については、本節一を参照いただきたい。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
しかしながら、紙幅の制約上、資料編3に盛り込むことができなかったため、宝暦改革の政策的展開と改革推進者である
乳井貢
,中津軽郡岩木町所在の高照神社蔵「神社創設ノ由来」中の諏訪門兵衛の記事は、同社の祭司役後藤兵司が、
乳井貢
,さて、宝暦改革は、
乳井貢
を中心として実施されたわけであるが、乳井は当時の思想界のなかでも独特の思想内容,乳井の著作の殆どは、すでに昭和十年から同十二年にかけて公刊された『
乳井貢
全集』全四巻(
乳井貢
顕彰会発行
通史編3(近世2)
(学風の変化)
宝暦改革の折の
乳井貢
の思想的背景には徂徠の思想が控えていたし、寛政期に実施された武士の農村土着を献策した
通史編2(近世1)
(宝暦改革と蔵米)
宝暦改革と蔵米
乳井貢
が主導した宝暦改革では蔵米制が採用され、後年の恒常的な蔵米化の先駆けとなった。
通史編2(近世1)
(経済政策の前提)
そして機構的には大凶作への対応を背景として
乳井貢
が「元司職(もとししょく)」に任命され、改革推進のための
資料編2(近世編1)
(はじめに)
ようめい)文庫で採訪した、津軽家と近衛家との関係を伺う上で貴重な文書史料を、ついで宝暦改革の主導者である
乳井貢
通史編3(近世2)
(信政の文治)
「貞享規範録」は、「貞享年間の信政の治世に政道の規範を仰いだことに由来する表題で、「二代目の
乳井貢
」との
通史編3(近世2)
(信政の教養)
儒学の側面は空理空論を廃して、日用の実践を重視する学風で、宝暦改革の中心人物
乳井貢
の思想にもその影響が
通史編2(近世1)
(安永期の蔵米化)
安永期の蔵米化 宝暦八年(一七五八)に、
乳井貢
は失脚し、宝暦改革も頓挫するが、藩の財政はその後も度重
通史編3(近世2)
(信寿・信著・信寧時代)
信寧の治世期では
乳井貢
(みつぎ)が活躍している。
通史編2(近世1)
(飢饉への対策)
飢饉の際、藩政を主導したのは
乳井貢
(にゅういみつぎ)であったが、彼は前年閏五月に大坂への廻米を止め、国元
通史編2(近世1)
(寺社政策)
乳井貢
の寺社の在り方についての考え方や、当時の寺社の状況、そして何より、前述した経済政策をはじめとして
通史編3(近世2)
(藩政後期)
藩政後期 藩政後期の宝暦改革は、元司職の
乳井貢
が藩財政の再建を強力に推し進めたものであった。
通史編2(近世1)
(領内アイヌ支配の変化)
宝暦六年(一七五六)、折から外浜を巡視していた、「宝暦改革」の立役者
乳井貢
(にゅういみつぎ)によって、
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
………… 396 二 商品経済の展開と藩財政の窮乏 …………………………… 427 三
乳井貢
通史編2(近世1)
(毛内宜応の「秘書 全」)
毛内宜応茂粛(もうないぎおうしげとし)は、宝暦三年(一七五三)からのいわゆる「宝暦改革」において、
乳井貢
資料編2(近世編1)
(新編 弘前市史 資料編2(近世編1) 目次)
(四)その他 …………………………………………………………………………… 七一三 第二節
乳井貢
資料編3(近世編2)
(【解説】)
当藩の藩政改革ではすでに『資料編2(近世編1)』において
乳井貢
による宝暦改革をとりあげている。
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