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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(自然・原始)
(亀ヶ岡文化の特色)
亀ヶ岡文化
の特色 今日亀ヶ岡式土器といわれるものは、さきの後期で述べたごとく、粗製土器と精製土器に分,
亀ヶ岡文化
を代表する遮光器土偶の名は、坪井正五郎(つぼいしょうごろう)(東京大学人類学教室の創立者)により /
亀ヶ岡文化
の特色
通史編1(自然・原始)
(亀ヶ岡文化の広がり)
亀ヶ岡文化
の広がり 現在みられる当該土器の分布範囲は、日本の先史土器文化のなかでも他の追従を許さぬほど /
亀ヶ岡文化
の広がり
通史編1(自然・原始)
(第二節 旧石器時代)
十二月三十一日午後十一時五十八分三十六秒、青森市の三内丸山遺跡に人々が居住しはじめたのは、午後十一時五十九分二十秒、縄文時代の終末に当たる
亀ヶ
,
岡文化
の始まりは午後十一時五十九分四十秒になる)。
通史編1(自然・原始)
(三 亀ヶ岡土器文化の発展)
晩期の土器を俗に亀ヶ岡式土器と称し、その時代に人々が築き上げた品々などを総称して
亀ヶ岡文化
と呼んでいる
通史編1(自然・原始)
(栽培の問題)
したがって晩期の
亀ヶ岡文化
時代には、かなりの栽培植物があって、堅果植物とともに食膳をにぎわしていたことであろう
資料編1(考古編)
((3)多様な技法)
織布の出現が縄文時代晩期中葉にまでさかのぼることの確証と、漆工芸に見られるような高度の技術の存在は、
亀ヶ
,
岡文化
の内容のすばらしさを裏付けるとともに、縄文人の知恵とこの時代の卓越的な面を暗に物語っている。
通史編1(自然・原始)
(大正時代)
喜田貞吉は、「徳川時代の末葉までアイヌ人が住んでおり、おそらく彼らが使用していたもの」というように、
亀ヶ
,
岡文化
を江戸時代にまで下降させる見解を示したのである(41)。
資料編1(考古編)
((4)漆器・木器生産)
6000年前)には既に開始されており、縄文時代晩期(約3000年前)、とりわけ東北地方北部を中心とする
亀ケ
,
岡文化
圏において隆盛を極めている。
資料編1(考古編)
((6)縄文時代晩期)
亀ヶ岡文化
圏の人々はもとより、その圏外に居た人々もこの土器に対し憧憬の念を抱いていたことであろう。
通史編1(自然・原始)
(第三節 注および引用・参考文献)
『歴史発掘 3 縄文の土偶』 講談社 一九九七年 (83)渡辺誠・南博史 『青森県石亀遺跡における
亀ヶ
,
岡文化
の研究』(古代学研究所研究報告 五) 一九九七年 (84)吉崎昌一 「古代雑穀の検出-考古植物学的調査
通史編1(自然・原始)
(昭和時代)
さきに喜田貞吉の「
亀ヶ岡文化
は江戸時代説」を紹介したが、喜田は大正十四年(一九二五)七月に津軽半島の三厩
通史編1(自然・原始)
(太平洋戦争終結後)
宮田(長森)等の遺跡を発掘し(74)、翌昭和二十六年(一九五一)も亀ヶ岡を除く同じ二遺跡を調査して、
亀ヶ
,
岡文化
の実態把握に力を注いだ(75)。
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