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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (佐藤正三と二・二六事件)

佐藤正三と二・二六事件 昭和八年、佐藤正三は官立弘高三年になった。このころ彼は苦悩していた。,二年後、西田も渋川も對馬も二・二六事件で死刑となった。  ,九月二十二日、弘前へ帰った。,二月二十六日 二・二六事件突発。,そして、十月二十二日、東京軍法会議特別裁判公判特別裁判公判に付され、十一月二日禁錮四年を求刑され、昭和十二年一月十八日反乱罪 / 佐藤正三と二・二六事件
通史編5(近・現代2) (凶作と小作争議)

小作争議は、昭和二年の四件が四年には八倍の三二件となった。,身売り娘などの哀話が続き、津軽の青年将校たちが参加した五・一五事件、二・二六事件などが続発する。  ,昭和六年の本県の稲作は大正二年以来の凶作となった。,の九人が六年には二八八人と三〇倍になった。,、小作料一時減額一、永久減額一で、同年中に解決三件、未解決二、法調停二件である。
通史編5(近・現代2) (太平洋戦争始まる)

太平洋戦争始まる 昭和十六年十二月八日 今朝六時既に交戦。,昭和十七年一月二日から四日まで、東亜連盟協会中央講習会が安房(あわ)小湊であり、石原莞爾、中山優らの講義,七月十二日 二・二六事件先仁逝(ゆ)いて七年。宇田川の獄舎での当時を想ふ。
通史編5(近・現代2) (弘前市にとっての第八師団)

第八師団は青森、岩手、秋田、山形を管轄し、仙台に拠点をもつ第二師団とともに、東北師団として巨大な施設を,昭和期になってから師団長に赴任したのは、二・二六事件の黒幕の一人としても有名な真崎甚三郎だった。
通史編5(近・現代2) (故郷(くに)を思う心)

大正八年(一九一九)、弘前の文学青年一戸謙三(いちのへけんぞう)らがパストラル詩社を結成(~大正十二年,そして政治的には五・一五事件、二・二六事件、東亜連盟活動などで志士的行動に身を投ずる人物を生んだ。
通史編5(近・現代2) (東門会の佐藤正三)

東門会の佐藤正三 昭和六年正月二日、東門会の指導者だった佐藤正三(さとうしょうぞう)は、官立弘前高等学校,三月二十九日佐藤は官立弘高文科乙類に合格した。四月十日の入学式の後、次の感想を書く。,對馬少尉(注、二・二六事件の對馬勝雄)は満洲へ行きました。
通史編5(近・現代2) (昭和弘前市民の一側面)

昭和三年(一九二八)の夏から秋にかけて、『弘前新聞』は一万号記念事業として津軽十景の選出を行った。,二位に五万票以上の差をつけて一七万票近くを集めた瑪耶渓が首位となり、二位から四位までは一〇万票以上を集,フィルムは四本作られ、『弘前城と桜』の題名で、アメリカに二本、ヨーロッパに一本、残りの一本は海軍の練習艦隊,後に青年将校たちが五・一五事件や二・二六事件を起こした要因の一つも、東北地方の貧しい農山村社会が、地主
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