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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (二等銃隊の創出)

二等銃隊の創出 新しい軍事力とは、具体的には主に家中の次、三男層や弟などの傍系親族(ぼうけいしんぞく,では、二等銃隊とは具体的にどのような隊構成だったのであろうか。,戊辰戦争期を通じて二等銃隊はおよそ三五小隊ほど組織されたと確認される。,二等銃隊の実態を表12によって示すこととする。  ,以上は二等銃隊第一三番隊からみた結果であるが、他の小隊例もみてみよう。 / 二等銃隊の創出
通史編3(近世2) (二等銃隊の補充と特質)

二等銃隊の補充と特質 さて、こうして創出された二等銃隊は、どのように藩の軍事力に組み込まれていったのであろうか,図55.二等銃隊分析表(明治元年9月7日,三等銃隊と改称)  図55をみてまず第一に気づく点は、,時期が下るにつれて補充される二等銃隊員の数が減少していることである。,しかも、よくみれば時期ごとに軍制や二等銃隊も異なった様相を示している。  ,二等銃隊は従来にない軍事力だったため、初期にはこのような心配もされたのである。 / 二等銃隊の補充と特質
通史編3(近世2) (戦局の展開と兵員の不足化)

このような軍事情勢の下で第2期の二等銃隊の組織化が進行していく。,新たな軍制とは、八月七日に二等銃隊から中小姓・徒士(かち)組の者が全員引き揚げ命令を受けたことに始まる,さらに、同十一日にはこれまで二等銃隊に入っていた長男の中で、御手廻・御馬廻組に入るべき者は、以後これを,御書院番(ごしょいんばん)銃隊、御馬廻組を表御書院番(おもてごしょいんばん)銃隊と改称し、これまでの二等銃隊,このように軍制は弘前守備を専一とする御書院番銃隊(一等銃隊)・表御書院番銃隊(二等銃隊)・第一等予備銃隊
通史編3(近世2) (弘前藩の出兵)

七月十八日、一等銃隊頭館山善左衛門および二等銃隊頭田中小四郎が藩兵を率いて秋田へ向かい、二十二日に同地,また、二十日には、二等銃隊頭和嶋安左衛門(やすざえもん)が一小隊を率いて、二十三日には諸手(しょて)足軽頭
通史編3(近世2) (御軍政局の発足と組織)

人扶持勤料 御小姓組 明治2.3 寄合格 14 佐藤吉郎 〃 御使番 150石 御小姓組 明治1.6 二等銃隊頭,・調方兼 15 武田代次郎 〃 御使番 150石 御付御近習小姓 明治1.6 二等銃隊頭・調方兼 16,御手廻番頭格武芸締方取扱 24 喜多村弥平治 〃 御手廻番頭格 100石 御馬廻組 明治1.6 二等銃隊頭
通史編3(近世2) (醍醐忠敬の弘前転陣)

そして、これまでの戦局で最激戦地に身を置いた二等銃隊は、御書院番銃隊・表御書院番銃隊に続く三等銃隊とされ
通史編3(近世2) (戦場に駆り出された民衆)

さらに、戦死者リストを詳しくみると、最も多く命を落としたのは軍政改革で創設された三等銃隊(創設時は二等銃隊
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