• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 15件
辞書ファセット
/ 1ページ
資料編1(古代・中世編) (第二節 五輪塔)

第二節 五輪塔 五輪塔は、平安時代後期に密教系の石塔として出現し、やがて宗派を越えて造立されるようになった,五輪塔は日本において造られたが、最古の石造五輪塔は、中尊寺釈尊院墓地にある仁安四年(一一六九)の造立で,もっとも、浪岡町の吉内・北中野地区の五輪塔には、小型の一石五輪塔も含まれている。,龍泉寺前庭の五輪塔  津軽地方の五輪塔に関心を持ったのは、江戸時代後期の津軽を歩いた菅江真澄である,『陸奥古碑集』に見える五輪塔 二(右上)は中崎,七(右下)は高杉八重の森,十一(左)は乳井の五輪塔 / 第二節 五輪塔
資料編1(古代・中世編) (第三節 宝篋印塔)

宝篋印塔は、五輪塔と並ぶ石塔の二大主流ということができる。  ,龍泉寺には、福島正則一族にかかわる五輪塔があることを前項で述べたが、宝篋印塔も同じ経緯で移入され、古くから,津軽地方の宝篋印塔は、五輪塔の分布地にほぼ共存するといってよい。,また宝篋印塔は、五輪塔に比べて形式が複雑であり、破壊や風化・凍害に遭うことが多く、残存しにくい条件を塔自体
通史編3(近世2) (報恩寺)

昭和二十九年(一九五四)、弘前高校の校地拡張に伴い、歴代藩主の五輪塔は承祜(つぐとみ)の遺体とともに、,この時、信義の五輪塔と殉死した四人の墓石は、廟所白雲台の後方に置かれた。
資料編1(古代・中世編) (はじめに)

金石文には、梵鐘・鰐口・仏具・仏像・刀剣・銅鏡・古銭・擬宝珠などの金属製品に刻まれた文字や五輪塔・宝篋印塔,弘前市内で中世の板碑・五輪塔などを多く残している地域は、乳井及びその周辺、国吉、宮舘・中別所などである
資料編1(古代・中世編) ([口絵])

中別所石仏の正応の板碑 (国指定重要美術品)(板碑一覧弘前90番) 乳井神社墓地の五輪塔
通史編3(近世2) (津梁院)

信政は天和元年(一六八一)に信枚の五輪塔と遺骨を常福寺から改葬した(篠村正雄「浅草常福寺口上書と御屋舗江常福寺御由緒略覚
通史編3(近世2) (長勝寺)

昭和二十九年(一九五四)には報恩寺から藩主家の五輪塔が移された。 図214.長勝寺
通史編3(近世2) ((一)藩主家の菩提寺)

三代藩主信義は江戸で死去すると津梁院に埋葬されたが、国元では、四代藩主信政が新しく天台宗報恩寺を創建して五輪塔
資料編1(古代・中世編) (一 銅鐘)

この寺は、北条時頼が愛妾「唐糸御前」の供養のために建立したと伝えられ、付近には五輪塔や板碑も残されている
通史編3(近世2) (信政)

遺髪・爪は菩提寺報恩寺に五輪塔を建て、ここに納めた。  
通史編1(古代・中世) (種里城と町)

鯵ヶ沢町種里周辺には、板碑や五輪塔などが散在しており、そのようなことから光信が種里に入る以前の段階には
資料編1(古代・中世編) (五 乳井地区の城館群と宗教的領域)

 さらに注目すべきことに、乳井地区全体を見下ろす福王寺背後の丘陵の頂上には、中世前期の板碑や五輪塔
資料編1(古代・中世編) (一 はじめに)

それだけに、現在も各地に残る中世の城館跡は、板碑・五輪塔などの金石文資料や、考古学的な出土遺物・遺跡とともに
資料編1(古代・中世編) (六 板碑の調査・研究史)

板碑のほか五輪塔・宝篋印塔を含めおよそ三〇〇基の石造遺物を取り上げ、一〇分の一の大きさで描いた本書は、
資料編1(古代・中世編) (新編 弘前市史 資料編1-2 古代・中世編 目次)

………  五五八   三 刀剣………………………………………………………………  五五九  第二節 五輪塔
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました