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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(自然・原始) (人類学会創設~昭和三十三年(一九五八))

人類学会創設~昭和三十三年(一九五八) 明治十七年(一八八四)十月に結成された人類学会は、東京大学理学部,の人類学教室を本拠とし、明治十九年(一八八六)二月から『人類学会報告』(同年六月の一巻五号から東京人類学会報告,と改名)を発刊して、我が国における人類学・考古学・民族学の発展に大きな影響を与えた。,また、当時人類学会会長であった東京大学教授坪井正五郎(つぼいしょうごろう)の「縄文土器はコロボックル(,明治の三十年代から四十年代にかけては、東京人類学会の会員が本県の石器時代に強い関心を抱き、大野延太郎( / 人類学会創設~昭和三十三年(一九五八)
通史編1(自然・原始) (二 考古学研究の展開過程)

考古学研究は、記録によると江戸時代に始まり、明治時代に入って、東京大学(当時東京帝国大学)を中心とした人類学会,今ここに、本県の考古学研究の歩みを区分すると、  第Ⅰ期は、江戸時代から明治維新を経て、人類学会創設,第Ⅱ期は、人類学会創設から県内の研究者が中心となって調査が開始される昭和三十三年(一九五八)まで、在京
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

』二-一一 一八八七年一月 (16)下澤保躬 「石ノ鞋草ト称フル古石器」『東京人類学会報告』二-一〇, 一八八六年十二月 (17)佐藤蔀 「陸奥国津軽郡花巻村ヨリ出デタル大甕」『東京人類学会雑誌』五-四五,』五-四七 一八九〇年二月 (19)外崎覺蔵 「陸奥津軽郡湯口村古物発見」『東京人類学会雑誌』三-二七, 「陸奥瓶ヶ岡にて獲たる土偶の図-瓦偶人之図」『東京人類学会雑誌』三-二一 一八八七年十一月 (24, 一八九六年一月   B 佐藤傳蔵 「陸奥国亀ヶ岡第二回発掘報告」『東京人類学会雑誌』一一-一二四 
資料編1(考古編) ((1)明治時代から太平洋戦争まで)

この年、廣澤安任が東京人類学会に上北発見の竪穴住居について報告した*1。,その後、佐藤重紀*2*3・佐藤伝蔵*4らの調査報告が、相次いで東京人類学会誌『東京人類学会報告』に発表
通史編1(古代・中世) (混血の進展)

図10 形質人類学からみた日本列島内人間集団の相関関係(埴原和郎作図)  古代の蝦夷は、混血の程度,この事実は、形質人類学の世界では、頭骨や歯の特徴、あるいは血液の遺伝子などの分類によってほぼ確かめられた
通史編1(古代・中世) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

(弘前市) 築館町教育委員会 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市) 貞昌寺(弘前市) 土井ヶ浜遺跡・人類学
通史編1(古代・中世) (日本人の起源)

近年の形質人類学の急速な進展は、さまざまな要素からこの事実を証明することに成功している。  
通史編1(自然・原始) (亀ヶ岡文化の特色)

亀ヶ岡文化を代表する遮光器土偶の名は、坪井正五郎(つぼいしょうごろう)(東京大学人類学教室の創立者)により
資料編1(考古編) ((2)県内遺跡の出土工芸品)

なお、編物に関しては古くから関心が持たれ、縄文土器の底面に見られる網代痕(あじろこん)について、人類学会創設者
通史編1(自然・原始) (明治時代)

蓑虫は、明治十九年(一八八六)八月に東北地方を巡歴しながら、本県を訪れた初代の人類学会会長神田孝平(かんだたかひら
通史編1(自然・原始) (昭和時代)

で山内清男の後輩であった中谷治宇二郎(なかやじうじろう)(一九〇二~一九三六)が調査し、その成果は『人類学雑誌,』に掲載され(65)、補足を京都大学の病理学教授で人類学の分野でも著名な清野謙次(きよのけんじ)が『日本貝塚,昭和十八年(一九四三)五月に史前学雑誌、十一月古代文化、翌年九月は人類学雑誌と考古学雑誌が、戦時下のため
通史編1(古代・中世) (粛慎とは何者か)

形質人類学によるオホーツク文化人の頭骨の分析によれば、その由来は、大陸のアムール川流域であるとされている
通史編1(自然・原始) (人類の進化)

ヒトへの進化を研究している人類学では、最古の人類から今日に至るまでの長い道のりを、猿人→原人→旧人→新人
通史編1(自然・原始) (第三節 注および引用・参考文献)

魏志倭人伝 他二篇』 岩波文庫 一九九六年 六三刷 (48)鈴木尚 「相模平坂貝塚の人骨について」『人類学雑誌,小牧野遺跡発掘調査報告書』(青森市埋蔵文化財調査報告書三〇) 一九九六年 (81)坪井正五郎 「雪中遮光器」『東京人類学会雑誌
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

林謙作 「岩手県蛇王洞洞穴」(石器時代7) 1965年10月 *30 長谷部言人 「円筒土器文化」(人類学雑誌,遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書33) 1977年3月 *82 佐藤蔀 「瓦偶人之図」(東京人類学会雑誌,3-21) 1887年11月 *83 坪井正五郎 「雪中遮光器」(東京人類学会雑誌6-62) 1891,114に前掲 *132 *115に前掲 *133 坪井正五郎 「日本石器時代の網代形編み物」(東京人類学会雑誌
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

〈注及び参考文献一覧…第3章〉 *1 廣澤安任 「アイノノ遺跡ノ事」(東京人類学会報告2-11) 1887,年 *2 佐藤重紀 「陸奥国上北郡の竪穴」(東京人類学会報告5-51) 1890年 *3 佐藤重紀, 「竪穴及チャシコツ」(東京人類学会報告6-57) 1890年 *4 佐藤傅蔵 「日本本州に於ける竪穴発見報告,」(東京人類学会雑誌13-145) 1898年 *5 佐々木新七 『青森県史蹟名勝天然記念物調査報告
資料編1(考古編) ((4)土製品)

明治20年(1887)、佐藤蔀により東京人類学会雑誌を飾った「瓦偶人之図」*82を基に、遮光器という名
資料編1(考古編) ((2)太平洋戦争後から現代まで)

でも、本県を中心とする北部地域と南部地域の違いが、時代とともに変化することが明らかになり、しかも形質人類学研究
通史編1(古代・中世) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

前田育徳会尊経閣文庫蔵 写真15 宮内庁正倉院事務所蔵正倉院宝物 写真16 青森県立郷土館蔵 写真17 土井ヶ浜遺跡・人類学
資料編1(考古編) (〈注一覧…第4章〉)

七戸町教育委員会 『史跡七戸城跡北館Ⅱ』 1993年 *2 中谷治宇二郎 「東北地方石器時代遺跡調査予報」(人類学雑誌第
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

盛岡市中央公民館写本 に ニコロ・ランチロット報告書 …………………………………………………………… 『明治前日本人類学
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