機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 14件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編3(近世2)
(弘前市内寺院所蔵の彫刻・絵画)
絵画 平成九年(一九九七)の調査終了時点で、市内八四ヵ寺に八三〇件二〇〇〇点余りの幕末までに造られた
仏像
,城下町として生まれた弘前としては自然なことかも知れないが、寺々の弘前移転以前からの
仏像
と確認できるものは,それは、江戸時代、
仏像
およびそれを造る工房にランクが生じていて、藩の庇護により寺格や経済力のある寺々が,比較的高いランクの
仏像
を求め得たことが反映している。 ,また、弘前に江戸と上方双方の
仏像
が運ばれていたことは、近世の
仏像
流布の問題を考えるうえで重要である。
通史編3(近世2)
(小社の神仏分離)
②産土神や廃社にある
仏像
は、すべて最勝院に持参すること。,3 まず神職の願い出を分析すると、産土神八七社(表中No.1~3の合計)のうち神体となっている
仏像
,を上納したいというものが五五社(六三・二パーセント)、神体となっている
仏像
をそのまま神体として祀りたいというものが,これをみると、神社の存続を望むものがほとんどであることはいうまでもないが、神体となっている
仏像
を神体に,江戸時代までの神社の神体には
仏像
や石といったものが多く、それはその産土神がもともと草分け百姓や名主の屋敷神
通史編3(近世2)
(大社の神仏分離)
次に深沙宮(現南津軽郡尾上町)は神宮寺が別当を免じられ、本社の
仏像
は神宮寺に預けられ、社号を猿賀(さるか,ところが、別当は老年の師匠を捨てておけないし、自分は仏恩が深いとして
仏像
とともに貞昌寺(ていしょうじ),現中津軽郡岩木町)は、百沢寺(ひゃくたくじ)が別当を免じられ、岩木山山頂御室(おむろ)に安置されていた
仏像
,と、麓の下居宮(おりいのみや)の
仏像
は百沢寺に預けられた。
通史編3(近世2)
(概観)
そして三つ目は、寺社に関する造形で、
仏像
や仏画、狛犬(こま)や絵馬、建築に付随する天井画や襖絵などの問題,二〇世紀末の弘前に現存する仏教美術に関しては『弘前の
仏像
』(一九九八年 弘前市刊)を参照されたい。
通史編3(近世2)
(百沢寺)
この時、
仏像
は長勝寺と専称院(現南津軽郡大鰐町)へ移された。
通史編3(近世2)
(神仏分離とは)
のおおよその内容は、従来寺院に合祀(ごうし)されていた神社を寺院から切り離すことであり、具体的には神体を
仏像
,また、滋賀県の日吉神社ではおびただしい数の
仏像
・仏具・経典・什器(じゅうき)類が破棄され、奈良の興福寺
資料編1(古代・中世編)
(五 種子と名号)
釈迦三尊・阿弥陀三尊などの場合は、三つの種子を刻み
仏像
に代えている。
通史編1(古代・中世)
(秋田の唐糸伝説)
秋田方面では、時頼が鎌倉への帰途、初七日・二七日・三七日と、区切りごとに唐糸の菩提を弔って、寺院を建立し
仏像
資料編1(古代・中世編)
(はじめに)
金石文には、梵鐘・鰐口・仏具・
仏像
・刀剣・銅鏡・古銭・擬宝珠などの金属製品に刻まれた文字や五輪塔・宝篋印塔
資料編1(考古編)
(第4節 中世・近世の生活用具)
文房具 染付水滴,瀬戸美濃水滴(以上陶磁器)/硯(石製品) 遊戯具 人形・土面子(土製品) 宗教具
仏像
通史編3(近世2)
(神仏分離の準備)
明治二年(一八六九)八月当時、藩では図77のような組織を定め、神社から別当・社僧を切り離したが、
仏像
資料編1(考古編)
(第7節 出土遺物と生活)
中世に入ると、浪岡城や根城では、五鈷杵・銅椀・高台・
仏像
・香炉・鉦・鈴・数珠・塔婆・柿経といった例があり
通史編1(古代・中世)
(奥大道と文物の流通)
逆に京都方面から
仏像
・経文・調度などの物品が運ばれてきた。
資料編1(古代・中世編)
(二 青森県の板碑分布)
また、岩木町一町田にある
仏像
を刻んだ石碑には、中世後期の人物のため造立したという伝承がある。
/ 1ページ