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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (弘前市内寺院所蔵の彫刻・絵画)

絵画 平成九年(一九九七)の調査終了時点で、市内八四ヵ寺に八三〇件二〇〇〇点余りの幕末までに造られた仏像,城下町として生まれた弘前としては自然なことかも知れないが、寺々の弘前移転以前からの仏像と確認できるものは,それは、江戸時代、仏像およびそれを造る工房にランクが生じていて、藩の庇護により寺格や経済力のある寺々が,比較的高いランクの仏像を求め得たことが反映している。  ,また、弘前に江戸と上方双方の仏像が運ばれていたことは、近世の仏像流布の問題を考えるうえで重要である。
通史編3(近世2) (小社の神仏分離)

②産土神や廃社にある仏像は、すべて最勝院に持参すること。,3  まず神職の願い出を分析すると、産土神八七社(表中No.1~3の合計)のうち神体となっている仏像,を上納したいというものが五五社(六三・二パーセント)、神体となっている仏像をそのまま神体として祀りたいというものが,これをみると、神社の存続を望むものがほとんどであることはいうまでもないが、神体となっている仏像を神体に,江戸時代までの神社の神体には仏像や石といったものが多く、それはその産土神がもともと草分け百姓や名主の屋敷神
通史編3(近世2) (大社の神仏分離)

次に深沙宮(現南津軽郡尾上町)は神宮寺が別当を免じられ、本社の仏像は神宮寺に預けられ、社号を猿賀(さるか,ところが、別当は老年の師匠を捨てておけないし、自分は仏恩が深いとして仏像とともに貞昌寺(ていしょうじ),現中津軽郡岩木町)は、百沢寺(ひゃくたくじ)が別当を免じられ、岩木山山頂御室(おむろ)に安置されていた仏像,と、麓の下居宮(おりいのみや)の仏像は百沢寺に預けられた。
通史編3(近世2) (概観)

そして三つ目は、寺社に関する造形で、仏像や仏画、狛犬(こま)や絵馬、建築に付随する天井画や襖絵などの問題,二〇世紀末の弘前に現存する仏教美術に関しては『弘前の仏像』(一九九八年 弘前市刊)を参照されたい。
通史編3(近世2) (百沢寺)

この時、仏像は長勝寺と専称院(現南津軽郡大鰐町)へ移された。
通史編3(近世2) (神仏分離とは)

のおおよその内容は、従来寺院に合祀(ごうし)されていた神社を寺院から切り離すことであり、具体的には神体を仏像,また、滋賀県の日吉神社ではおびただしい数の仏像・仏具・経典・什器(じゅうき)類が破棄され、奈良の興福寺
資料編1(古代・中世編) (五 種子と名号)

釈迦三尊・阿弥陀三尊などの場合は、三つの種子を刻み仏像に代えている。
通史編1(古代・中世) (秋田の唐糸伝説)

秋田方面では、時頼が鎌倉への帰途、初七日・二七日・三七日と、区切りごとに唐糸の菩提を弔って、寺院を建立し仏像
資料編1(古代・中世編) (はじめに)

金石文には、梵鐘・鰐口・仏具・仏像・刀剣・銅鏡・古銭・擬宝珠などの金属製品に刻まれた文字や五輪塔・宝篋印塔
資料編1(考古編) (第4節 中世・近世の生活用具)

文房具 染付水滴,瀬戸美濃水滴(以上陶磁器)/硯(石製品) 遊戯具 人形・土面子(土製品) 宗教具 仏像
通史編3(近世2) (神仏分離の準備)

 明治二年(一八六九)八月当時、藩では図77のような組織を定め、神社から別当・社僧を切り離したが、仏像
資料編1(考古編) (第7節 出土遺物と生活)

中世に入ると、浪岡城や根城では、五鈷杵・銅椀・高台・仏像・香炉・鉦・鈴・数珠・塔婆・柿経といった例があり
通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

逆に京都方面から仏像・経文・調度などの物品が運ばれてきた。
資料編1(古代・中世編) (二 青森県の板碑分布)

また、岩木町一町田にある仏像を刻んだ石碑には、中世後期の人物のため造立したという伝承がある。
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