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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(地方支配機構の確立)
遣には、
代官所
が置かれ、一遣に二人ずつ任命された代官のうち、一人がその任地、一人が弘前で職務に当たっていた,
代官所
の機構は、無縁手代(むえんてだい)一八人・同小遣(こづかい)二四人・同三口一五人、別に御百姓手代二九人
通史編2(近世1)
(その後の漆栽培奨励策)
でさえどれだけ現実に実施されたか不明であり、九〇〇万本増殖計画がどの程度現実性があったか疑わしいが、少なくとも
代官所
通史編4(近・現代1)
(請願建白文の審議)
なお、中市稲太郎は五戸
代官所
の五〇石の御給人(地侍)であるが、福沢諭吉の書に親しみ、息子を慶応義塾に学
通史編2(近世1)
(続発する強訴の動き)
大勢徒党を組み、大光寺組の本町村(もとまちむら)(現南津軽郡平賀町)に集合し、柏木町村(現同郡同町)の
代官所
通史編2(近世1)
(漆の集荷・販売体制)
城下近在の者は直接弘前の「漆実買入所」に納入し、遠在のものはいったん最寄りの
代官所
に納め、俵数を確認したのち
通史編2(近世1)
(有史以来最大級の大量死)
天明4年2月晦日 9374人 2万8224人 死絶・立去 助米必要人数 「御勘定所日記」 盛岡藩
代官所
調査
通史編2(近世1)
(九戸一揆の意義)
また、一揆鎮圧直後の九月十七日、信直は糠部郡五戸の代官であった木村秀勝(ひでかつ)に、
代官所
廻りの町に
通史編2(近世1)
(民兵の登場)
彼らの出自は村役人・
代官所
の下役人・百姓・漁師・猟師等さまざまであり、それぞれのものが普段から仕事の道具
通史編3(近世2)
(キリシタン改め)
在方では
代官所
に寺の判鑑(はんかん)を備えて置き、庄屋・五人組が立ち会って寺請証文を寺の判鑑と照合し、
通史編2(近世1)
(上層農民・在方商人の伸長と藩政の動向)
飯詰村は下の切(しものきり)地方(梵珠山地の西麓の地域)の開発の中心であり、藩の
代官所
(下の切遣、ついで
通史編2(近世1)
(海防報告書にみる天保期の海防体制)
番人 下番 足軽 土屋村浦番所 2 4 田沢村遠見番所 2 5 小湊村
代官所
,月調べ) 弓(張) 長柄(筋) 鉄炮(挺) 土屋村浦番所 5 5 田沢村遠見番所 3 小湊村
代官所
通史編2(近世1)
(開発の実行者たち)
藩はさらに各村の庄屋・
代官所
の手代クラスの有力農民を「開発方下取扱」に任命、周辺の開発に関する指導者役
通史編2(近世1)
(浅利騒動の停戦命令)
(2)浅利氏に賦課される軍役・物成や太閤蔵入地の
代官所
支配も、一般の家臣並みとすること。
通史編1(古代・中世)
(藤崎城と中世都市)
なおかつ平川に臨む水陸交通の結節点にあり、岩木川を利用して年貢米を輸送するための藩御蔵や、藤崎組十六ヵ村の
代官所
通史編2(近世1)
(文久の面改め)
調査に当たっては、在方は
代官所
手代や庄屋など村役人、町は町役人、寺社は門前(もんぜん)庄屋が取りまとめることになっていた
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