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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(スーパーマーケットの登場)
S37.11~40.10まで) イマイフード・ストア 土手町21 36.8.1 食品 グリンマート
代官町
,食品(41.11.15まで中央百貨街) (株)今勝土手町店 土手町45 37.11.1 衣料 〃
代官町
店,
代官町
3 41.11.19 〃 中三弘前店 土手町61 37.11.16 〃 中央百貨店
通史編5(近・現代2)
(市街地の交通緩和対策)
昭和三十八年十月十四日弘前市が行なった交通量の調査結果によると、
代官町
調査地点に於ける自動車類の交通量,この路線は、弘前市においても、和徳町、
代官町
、土手町、松森町を経て石川を通り秋田に至っているが、
代官町
通史編5(近・現代2)
(道路の整備)
昭和六年十二月二十一日可決 県費負担道改築ニ付意見 一、弘前市大字
代官町
地内弘前停車場線分岐点ヨリ,土手町地内弘前市元標ニ至ル間 一、国道第五号路線延長百九十間 幅員五間 同市大字
代官町
和徳町地内弘前停車場分岐点
通史編4(近・現代1)
(小学校のスキー備え付け)
同校学校日誌に「此ノ日
代官町
大石無人ヨリ中野式スキー一組(価格六円)ヲ寄附サレタリ」と記載されている。
通史編4(近・現代1)
(その他の会社)
明治32年12月 北瓦ケ町 竹内機業株式会社 100,000 30,000 織物製造 大正9年3月
代官町
,同 8年3月 百石町 弘盛株式会社 50,000 23,750 木通蔓細工販売 明治28年11月
代官町
通史編3(近世2)
(焼成について)
瓦用粘土は
代官町
(だいかんちょう)(現市内
代官町
)東方の土取場や和徳(わとく)村(現市内和徳)の田から
通史編4(近・現代1)
(道路改修問題と佐和知事)
弘前市土手町 弘前市山道町、清水村富田 中津軽郡役所 停車場道 弘前停車場 弘前市元寺町 山下町、坂本町、
代官町
,、和徳村 弘前停車場 黒石道 弘前市土手町
代官町
、和徳村、豊田村、猿賀村 尾上村尾上 国幣社道 弘前市元寺町
通史編4(近・現代1)
(日清戦争後の会社、銀行と工業生産)
6 同 弘前金融合資会社 同 百石町 貸金業 10,000 6 同 弘盛合資会社 同
代官町
,弘前農具株式会社 同 土手町 銅鉄物雑貨販売 60,000 24 同 津軽物産株式会社 同
代官町
通史編5(近・現代2)
(弘前相互銀行と青南信用組合の合併)
そして、三十五年九月一日、弘前市
代官町
に本店を新築するが、四階建ての建物は、当時の弘前では「角は」宮川
通史編4(近・現代1)
(学区の改変)
元大工町、塩分町、元長町、森町、覚仙町、鍛冶町、新鍛冶町、南北川端町などとなり、和徳小学学区は、和徳町、
代官町
通史編5(近・現代2)
(弘電の反攻)
会社は、一月十九日から断線を土手町・和徳町・
代官町
の一七〇戸に行ったが、暗黒になるはずの町並みに相変わらぬ
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
佐藤勝之丞 富田町 村谷勘左衛門
代官町
通史編4(近・現代1)
(女学生の風俗)
この袴地は、当時、
代官町
の「角は」と土手町の「角み」両呉服店が一手に引き受け、その注文に大多忙であったと
通史編3(近世2)
(楮町取り立て)
それには、
代官町
後ろから猫右衛門(ねこえもん)町(現市内松森町)の後ろ、小比内(さんぴない)街道から高崎近所
通史編4(近・現代1)
(特別大演習と天皇の弘前行幸)
、南郡の各小学校児童は御順路沿道で奉迎したが、和徳小学校は「午後五時二十分天皇御着三年以上ノ男女一同
代官町
角
通史編4(近・現代1)
(洋風建築と蔵造り)
呉服店が蓬莱橋から下土手町に移転して堂々たる三階建ての洋館を建て、あたりの商店を圧したが、三十四年には
代官町
通史編5(近・現代2)
(富田大火と第一・第二大成小学校の焼失)
これを「富田の大火」と呼び、焼失区域は富田大通りの一部、偕行社通りの一部、住吉町、品川町、松森町一部、
代官町
通史編4(近・現代1)
(菊池楯衛とりんご植栽)
うちりんごは、
代官町
の菊池楯衛(きくちたてえい)、相良町の山野茂樹(やまのしげき)、五林平(ごりんだい,写真20
代官町
「菊池後凋園」付近 (大正5年「弘前市俯瞰地図」より)
通史編5(近・現代2)
(小売業の動向)
⑥
代官町
商店街・・駅前と土手町とを結ぶ主要街路にありながら、それにふさわしい施設不足のため、現在は単なる,駅前 198 6.9 1,116 8.9 2,074,324 12.6 31,300 16.4 2
代官町
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
南川端町、○松森町、楮町、新楮町、富田町、富田新町 蓬莱 中初 敬業 中初 知類 中初 和徳学区 一
代官町
通史編4(近・現代1)
(凶作と副業の奨励)
としての藁細工は、主として北海道が販売先であったが、良質の製品を作製すれば販路の拡大は可能であり、特に、
代官町
通史編5(近・現代2)
(一 小学校教育)
三七八 九 24 小学校 東目屋 桜庭字清水流産九 田沢安栄 一七 六二八 一五 25 小学校 和徳
代官町
一
通史編5(近・現代2)
([付図])
為信公銅像出陣〈昭和19年〉 19 終戦〈昭和20年〉 20 弘前市への進駐軍(
代官町
通史編5(近・現代2)
(大火と上水道設備の向上)
富田町から出火した火は折からの強風に煽られて、松森町、土手町、品川町、
代官町
など、市内の中心部を焼き尽
通史編5(近・現代2)
(虚弱な少年時代)
虚弱な少年時代 明治三十三年(一九〇〇)、弘前市
代官町
に生まれる。
通史編4(近・現代1)
(日露戦争と小学校)
明治三十七年(一九〇四)二月六日の和徳小学校日誌に「日露ノ風雲愈々急ヲ告ゲ昨夜後備兵ノ召集アリ、
代官町
和徳町東側
通史編2(近世1)
(刑の執行)
かめのこうまち)へ廻し、黒石町(くろいしちょう)(現大浦町(おおうらまち)付近)・東長町(ひがしながまち)・
代官町
通史編4(近・現代1)
(新事物)
発車前五分間は、駅夫が駅前で鈴を鳴らし続けたが、これは
代官町
あたりまで聞こえた。
通史編5(近・現代2)
([口絵])
口絵11 松竹大和館(百石町) 口絵12 富田大通りの喫茶店「珈琲苑」 口絵13
代官町
通史編5(近・現代2)
(バス事業の本格化と戦時下統制)
なお、戦前には弘前市を起点に平川バス(
代官町
、平川力の経営、弘前-町居間)、弘前エビスバス(百石町、竹内兼吉
通史編5(近・現代2)
(りんご加工業と輸出)
大正時代には、弘前
代官町
の菊池甘栄堂がりんごようかん、干りんごの新聞広告を載せている。
通史編5(近・現代2)
(見直したい弘前市の記録)
土手町、鍛冶町をはじめ、
代官町
、桶屋町、百石町、親方町、紙漉町、紺屋町、若党町、五十石町、元大工町、元寺町
通史編4(近・現代1)
(町並みの推移)
雨の日停車場から
代官町
通りを歩き行きたるものは、先づ泥濘膝を没するなどの語は、殊更にこの市のために作られたかの
通史編4(近・現代1)
(「ねぷた喧嘩」と町道場)
木村徳治、南郡田舎館村大字八反田当時品川町寄宿阿保徳弥らには、同市和徳町なる稲荷神社の宵宮より帰り来り
代官町
通史編4(近・現代1)
(和服と呉服商)
移り、三階建ての洋館建築で近代的な呉服店の経営を始め、和徳町久一こと鳴海伝次郎、松森町「角は」(のち
代官町
通史編4(近・現代1)
(食生活の変化)
叶家(
代官町
)では夏に冷麦を売り出したところ、市内に三〇〇軒の常得意ができたという。
通史編4(近・現代1)
(日露戦後の工業)
17 森田機業場 新町 同 37年8月 同 - - - 男 4 女 26 安田機業場
代官町
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
例外として、現在の上・中土手町と
代官町
のところが町屋として土淵川を越えて伸びていた。
通史編4(近・現代1)
(りんご生産の展開と農業振興)
、山形藤次郎(同上)、石井又吉(マルみ・同松森町)、安井初太郎(同元寺町)、三浦豊五郎(大一組合・同
代官町
通史編2(近世1)
(土着策と弘前城下)
これまで一〇〇石以上金一五両以上の藩士が居住していたのを、御目見得以上の藩士に屋敷を与えることとし、
代官町
通史編4(近・現代1)
(津軽産業会の活動)
販売の途を極めさるは終始を完ふするものと言ふべからず本会窃かに此点に考按を廻らすこと切なり幸に弘前市
代官町
弘盛合資会社
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