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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(奥羽地方の戦国時代)
図59 奥羽の群雄 南奥羽の戦国時代は
伊達氏
を中心として展開していく。,
伊達氏
は、室町時代を通じて南奥羽に勢力の拡張を続けていたが、大永(だいえい)二年(一五二二)、当主である,その結果、天文(てんぶん)四年(一五三五)の時点で、
伊達氏
の支配は現在の福島県北・宮城県南・山形県南の,このあとの
伊達氏
は、晴宗の孫の政宗の代に南奥羽を統合して、奥羽随一の戦国大名へと発展していく。
通史編2(近世1)
(関東・奥惣無事令)
に臣従した天正十四年十月を契機とするものであるとしたとき、一年以上もの時間が経過していること、また、
伊達氏
,しかし、
伊達氏
と南奥羽の諸大名との間には、すでに七月に和睦が成立しており、しかも、これは、間接的には豊臣政権,いだされるものの、あくまでも南奥羽諸氏の自己規制によるものであるという(粟野俊之「戦国期南奥羽における
伊達氏
包囲網
通史編2(近世1)
(北奥羽の大名の動向)
南奥羽では、たとえば
伊達氏
の場合、天正十三年(一五八五)五月から翌十四年八月までの長期にわたり軍事行動,しかし、それ以後は、天正十六年(一五八八)一月の大崎(現宮城県北部)への出兵まで、
伊達氏
は、出陣・出兵
通史編2(近世1)
(秀吉の東国への停戦令)
佐竹義重(よししげ)宛て秀吉直書(じきしょ)によると(『新潟県史』資料編三)、会津の蘆名(あしな)氏と
伊達氏
通史編2(近世1)
(知行安堵と検地)
この時、伊達・最上氏のように、すでに大名権が確立している大名は、惣無事令以前に領国がそのまま安堵され(
伊達氏
,また、さきに触れたように
伊達氏
は会津・安積・磐瀬を没収され、秋田・小野寺・戸沢氏などは太閤蔵入地が設定
通史編2(近世1)
(城破(わ)り)
このときに破却される城は、伊達領国内のものなのか、当時
伊達氏
が接収に当たっていた葛西・大崎領のものなのかは,直ちには明らかにできないが、
伊達氏
の本領である伊達郡でも、石母田(いしもだ)城などが破却されるような状況
通史編1(古代・中世)
(阿津賀志山の合戦)
念西はこの功績で伊達郡地頭職を賜り、これが奥州
伊達氏
の始祖となったのである。
通史編1(古代・中世)
(南部晴政の登場と一族間の対立)
たとえば南奥の雄である
伊達氏
は、義持(よしもち)の「持」字を得た持宗(もちむね)を最初に、戦国期の当主輝宗
通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと津軽氏)
する一手として南部信直と本堂忠親、蒲生氏郷に属して大崎義隆、大谷吉隆の一手として由利五人衆といった、
伊達氏
通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)
一揆の背後には
伊達氏
の家臣による支援などもあったが、利直は翌年これを鎮圧した。
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
●文明五年(一四七三)八月六日、幕府、
伊達氏
ら南奥諸氏に「北国之凶徒」討伐を命ずる。
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 海東諸国紀 270 ●文明五年(一四七三)八月六日、幕府、
伊達氏
ら南奥諸氏に「北国之凶徒
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