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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (北畠顕家の死)

北畠顕家の死 この年八月、陸奥国伊達郡の自然の要害霊山(りょうぜん)にあった北畠顕家は、ようやく足利郡
通史編1(古代・中世) (奥羽地方の戦国時代)

六年にわたる戦いののちに勝利を収めた晴宗は、居城を伊達郡西山(現福島県伊達郡桑折町)から米沢(現山形県米沢市
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

津軽信寿 正徳二年(一七一二)四月十一日 陸奥国津軽郡一円一三三箇村 四五、六二八・三六    伊達郡之内,徳川家慶 津軽信順 天保十年(一八三九)三月五日 陸奥国津軽郡一円三〇八箇村  九、六二八・三六    伊達郡之内,津軽郡一三三ヵ村の高が四万五六二八石三斗六升となり、また飛地の場所も上野から陸奥国伊達郡の内へと移行し,、その高は一ヵ村(秋山村、現福島県伊達郡川俣町秋山)三七一石六斗四升となっている。,黒石津軽家が上野国の残り一五〇〇石と天領(表高一一二八石三斗五升)との交換を願い出て許可され、その差額分を伊達郡内
通史編3(近世2) (金木屋による養蚕と製織)

いていたが、文政十二年(一八二九)には秋田同様の生産を心がけ、秋田や伊達梁川(だてやながわ)(現福島県伊達郡梁川町
通史編2(近世1) (ロシアによるエトロフ襲撃事件)

なお、文化四年三月の幕府による松前および西蝦夷地の上知と松前藩の陸奥梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町
通史編2(近世1) (面改めの結果)

なお、元治元年(一八六四)九月に幕府に提出した「陸奥国津軽郡伊達郡之内人別帳」(国史津)では、津軽郡人口
通史編1(古代・中世) (阿津賀志山の合戦)

念西はこの功績で伊達郡地頭職を賜り、これが奥州伊達氏の始祖となったのである。  
通史編1(古代・中世) (阿津賀志山の防塁)

阿津賀志山の防塁 これに対して平泉藤原氏側は、奥大道の交通の要衝、陸奥国伊達郡阿津賀志山(あつかしやま
通史編2(近世1) (城破(わ)り)

当時伊達氏が接収に当たっていた葛西・大崎領のものなのかは直ちには明らかにできないが、伊達氏の本領である伊達郡
通史編3(近世2) (一〇代信順の治世)

家老高倉盛隆(もりたか)(盛正(もりまさ))が諫言(かんげん)のため奥州街道桑折(こおり)宿(現福島県伊達郡桑折町
通史編2(近世1) (警備引き揚げとその背景)

警備引き揚げとその背景 文政四年(一八二一)十二月七日、幕府は、陸奥国梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

松前および西蝦夷地をも上知して松前地・蝦夷地全域を直轄地とし、松前藩を陸奥梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町
通史編1(古代・中世) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

弘前市立図書館蔵 写真92 扶桑見聞誌記 弘前市蔵 写真93 集古十種 弘前市立図書館蔵 写真94 福島県伊達郡国見町教育委員会写真提供
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