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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (伏見指月城の普請)

伏見指月城の普請 文禄元年に普請が始まった伏見城は、伏見指月(しづき)の地に造営されたため伏見指月城,文禄四年の秀次事件から約一年後の慶長元年閏七月十二日深夜から十三日にかけて、近畿地方では大地震が起こり、伏見指月城 / 伏見指月城の普請
通史編2(近世1) (伏見築城と奥羽大名)

この普請は、伏見指月城の築城のことであるが、秀吉は秀頼の誕生早々、伏見城の拡張工事を企画していた。,文禄三年正月三日、秀吉は伏見指月城の普請奉行衆六人を決定し、各大名の普請人数を決めた。,奥羽の大名の中で、この伏見指月城の普請にかかわったのは秋田実季だけであった。,この「橋板」は、宇治川を挟んで伏見指月城の対岸にある向島に渡るための橋の用材であった。  
通史編2(近世1) (伏見木幡山城の築城)

なお、文禄四年には伏見指月城の杉板廻漕が秋田氏単独であったものが、翌慶長元年の伏見木幡山(こはたやま),杉板は、文禄四年当初は「御橋板」というように、伏見指月城の対岸にある向島に架かる橋の用材に使用するための
通史編2(近世1) (伏見作事板の運上と太閤蔵入地)

伏見作事板の運上と太閤蔵入地 豊臣政権にとって秋田氏領内の太閤蔵入地(豊臣政権の直轄地)は、伏見指月城
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