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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (織物会所の施策)

織物会所の施策 津軽領では元禄八年(一六九五、この年大凶作)以来経済が低迷し家中および在・町とも困窮状態,これに対し藩では「京座会所」を設け、ここで一切(いっさい)を取り扱わせる策をとっている。,遠隔地のため会所に搬送が困難な場合には、その村の庄屋が会所に連絡をとったうえ、庄屋を通じて頼み売り(委託販売,なお脇売りの場合は会所に持参させて丈尺を改め、証印を受けさせたうえで許可していた。,なお桑畑を必要とする者には未耕作の土地を見立て、会所に連絡のうえ桑畑としての利用を許可した。 / 織物会所の施策
通史編3(近世2) (繭)

繭 生産した繭は蚕繭会所で買い取っているが、一疋作り(繭の中に蛹(さなぎ)が一個)の繭が歓迎され、買値,配布は直接会所で受け取るか、遠方はもちろん、近在であっても会所に来られない場合には会所から出向くとしているほか,の木札を渡しておき、会所の役人が持参の木札と照合のうえ直接売買させ、たとえ懇意の者とか、顔見知りの会所役人,値段については、一石(一八〇リットル)を会所へ直接売る場合は一〇匁、仲買を介する場合は六、七匁で買い取,板行した養蚕の手引き書で、元禄十五年(一七〇二)、会所に一〇〇〇部余到着している。
通史編3(近世2) (織座)

弘図郷)の該当する場所には、「織物会所より願により相渡し候」と書き入れられているが、この場所(二ヵ所のうち,「国日記」では織物会所・織方会所・織屋会所・織物場会所・織物師会所・紺屋町会所・会所・織物師役所・織場,・織座・織物座・織物所、そのほか石渡織場所・石渡織物師役所・石渡において織座、さらに糸会所・蚕繭会所等
通史編2(近世1) (染織技術の導入政策)

さらに藩によって「織会所」が設置された。,設置の時期は明らかではないが、「国日記」元禄十二年十月十五日条によって、この時期会所がすでに国元と京都二,救済することを主たる目的とし、織物技術の伝習ということにとどまらず、織物・染色の原料、生産品を一括して会所
通史編2(近世1) (野本道玄の招聘)

1701 元禄14 47 3月,紺屋町に織物会所を設置。,高森太郎兵衛,道玄に代わり,織物会所監督。,1710 宝永7 56 5代藩主信寿,織物会所訪問督励。
通史編2(近世1) (騒動の要求と結果)

の摘発、(四)町年寄を二人制とし、元職の佐藤伝蔵の復帰、(五)役人の賄料の町方負担の停止、(六)名主会所,藩の領内米穀流通統制および廻米強化策の廃止、飯米確保、町方の出費の軽減、町年寄・名主会所を巡る町制改革
資料編3(近世編2) ([口絵])

弘前市立図書館蔵八木橋文庫) 餓死者供養名号塔(弘前市・専修寺) 民次郎の墓(弘前市・鬼沢集会所
通史編5(近・現代2) (弥生小学校の創設)

前田は教師就任を快諾、地区集会所を教室に、りんご箱を机にした学習が、十九年十二月一日から翌年三月末まで
通史編2(近世1) (乏しい国産品)

あるいは勘定方に配置されていたことは「国日記」等で確認されるが、八戸藩の「御調役所」、米沢藩の「産物会所
通史編2(近世1) (青森騒動の経過)

その後騒動勢のうち、名主会所万屋武兵衛方へおよそ七~八〇〇人が押し寄せ、来年春までの公定値段(一匁につき,この騒動は当初町役人など町上層部の参加を得ないで開始されたが、名主会所を巻き込み町名主から町奉行に訴願
通史編2(近世1) (ロシアによるエトロフ襲撃事件)

であるシヤナに二度にわたって上陸し、勤番の津軽弘前・盛岡藩兵を撃退し、ナイボ同様、食料・武器を奪い、会所
通史編4(近・現代1) (鍋島知事の対応)

スル政談員ニシテ今般大同団結ノ協議アリテ来集セシ者ナリト云)及弘前人等(無神経一件ニ付テノ委員トモ)集会所
通史編5(近・現代2) (市民の要望と行政の方向)

この年の五月中の陳情は、道路の補修、農道の修理、町名変更、部落集会所の新設、校舎の改築など多数寄せられている
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の啓蒙活動)

明治十三年から十四年にわたって国会開設請願が全国を風靡したので、塾の講堂は県下有志の集会所となり、木村
通史編2(近世1) (大庄屋制の成立)

弘前の名主会所を借りて「加談所」とし、日常の業務は、そこに通って行われた。
通史編3(近世2) (桑の栽培と養蚕)

現滋賀県)の出で、寛文十年(一六七〇)に入国し、養蚕に従事するとともに絹織も手がけており、技術的には織会所同様
通史編4(近・現代1) (新聞の発行)

や県の布達のようなものを、「下民不学」の徒や「文盲輩」に、「懇々と説き」きかせるという、町民有志の集会所
通史編1(自然・原始) (住居)

このような大型住居の造営について、雪国に多いことを理由に、冬季における共同作業場・集会所、現代の公民館的役割
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の再興なる)

大正八年十一月十七日米メソジスト監督教会監督ヘルバート・ウェルチ外一行は青森県知事道岡秀彦等と面会し「従来東奥義塾育英会所有
資料編1(考古編) (3.縄文時代の集落)

恐らく、集落のなかの多目的集会所であったのだろう。
通史編2(近世1) (その他の諸政策)

籾買い入れのための銭を一戸ごとに上中下に段階をつけて徴収し、四〇貫目を集めて籾を買い、本町一丁目の名主会所屋敷
通史編2(近世1) (警備引き揚げとその背景)

また、幕府による蝦夷地経営および幕府・東北諸藩による警衛でもたらされた会所や運上屋を通したアイヌ支配と
通史編3(近世2) (江戸勤番と生活)

(7)会所において申し渡しの御用があったならば、繰り出し人一人が出席し、また徒(かち)目付も出席する。
通史編3(近世2) (町役負担と御用金)

このうち、名主・月行事・町年寄小遣・御用屋敷・新田会所・能役者屋敷・人馬請払所・鍛冶役所・具足役所などが
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