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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(白石会議)
白石会議 白石周辺ではこのころ、仙台藩と米沢藩が、
会津藩
と交渉して、同藩の謝罪降伏によって事態を収めようとさらなる,することで新政府の指揮に従う方向をとりつつあったのであるが、会津征討に動いたはずの仙台藩は米沢藩とともに、
会津藩
,結果、仙台藩は閏四月四日、総督府に対しても
会津藩
主の降伏嘆願を伝え、進撃の中止を申し入れた。,それによると、五日に仙台藩家老但木(ただき)土佐より書状によって、
会津藩
主松平容保の降伏謝罪の件について,この結果、
会津藩
家老名による「嘆願書」と、仙台・米沢藩主連名の「
会津藩
寛典処分嘆願書」、そして、白石会議
通史編2(近世1)
(「分領」と津軽弘前藩)
、幕府は蝦夷地の開発と守衛が時節柄重要になってきたとの認識を示したうえで、蝦夷地を分割して、仙台藩・
会津藩
,名代盛岡新田藩主南部信誉(のぶのり)にも津軽家と同内容の達しがあり、仙台藩主伊達慶邦(だてよしくに)、
会津藩
主松平容保,さらに庄内藩と
会津藩
は、蝦夷地警衛を命じられたのに伴い、従来両藩が行ってきた江戸湾内海警備が免除された,えられることになった漁場の運上金および別段上納金の見込額をみると、津軽弘前藩・盛岡藩へのそれと、仙台・秋田・庄内・
会津藩
,蝦夷地警衛の重点を対ロシアとの国境問題が存在する北蝦夷地に置き、その警衛を担当する仙台・秋田・庄内・
会津藩
通史編3(近世2)
((一)東北諸藩と弘前藩)
よって、新政府と
会津藩
の降伏恭順を押し進める仙台藩等との関係が悪化するのである。,前年幕府から江戸市中取り締まりを命じられ、薩摩藩邸を焼き打ちにして朝敵とされた庄内(しょうない)藩は、
会津藩
通史編2(近世1)
(幕末期の蝦夷地交易)
さらに、仙台藩や
会津藩
では津軽弘前藩に申し入れ、蝦夷地警備の入用米をわざわざ国元から送ったのでは輸送費
通史編3(近世2)
(野辺地戦争の開始)
図62.藩境塚 この時、米沢藩と仙台藩はそれぞれ降伏しており、さらに、まさにこの日は
会津藩
鶴ヶ
通史編2(近世1)
(対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)
万延元年(一八六〇)、青森の商人は、滝屋が仙台藩、藤林家が
会津藩
、金沢屋が庄内藩の御用達に任命された。,青森と箱館で蝦夷地勤番に必要な津軽米を受け取りたいという提案が仙台藩から津軽弘前藩にもたらされたり、
会津藩
通史編3(近世2)
(白石同盟の動き)
それは、①庄内征討の件、②
会津藩
の謹慎と助命嘆願が米沢藩と仙台藩でなされている件、③仙台に山中兵部を派遣
通史編2(近世1)
(東西蝦夷地直轄下の勤番体制)
翌五年には秋田・鶴岡両藩に代わって仙台藩と
会津藩
が出兵し、四藩の総動員数は四〇〇〇人に及んだという。
通史編3(近世2)
(答礼使の出発)
弘前藩が返答をした二十五日には、仙台・米沢両藩代表が会津若松で
会津藩
救済について相談の場を設けていたが
通史編3(近世2)
(戦線の北上)
会津藩
とともに朝敵として厳重処罰の矢面に立たされた藩に桑名(くわな)藩があった。
通史編3(近世2)
(信政の教養)
惟足は吉川神道を唱道し、紀伊和歌山藩主徳川頼宣(よりのぶ)、
会津藩
主保科正之(ほしなまさゆき)などからの
通史編2(近世1)
(漆栽培奨励策の行き詰まり)
西国では漆に代わって安価な櫨蝋(はぜろう)の需要が増しており、
会津藩
・米沢藩といった古くから漆を特産としていた
通史編3(近世2)
(庄内征討命令をめぐって)
四月十日には、ともに朝敵として征討の対象となった
会津藩
と庄内藩の間に会庄同盟が結ばれた。
通史編2(近世1)
(漆の栽培奨励)
江戸時代、漆栽培で有名な
会津藩
でも最盛期(十八世紀中期)で一八〇万本だったというから、相当な数である。
通史編3(近世2)
(戦局の展開と兵員の不足化)
奥羽列藩同盟形成を強く主張していた仙台藩や米沢藩、朝敵とされた
会津藩
や鶴岡藩等は周辺の勤皇諸藩に進攻を
通史編2(近世1)
(高照神社の造営と「名君」信政像の創出)
たとえば、水戸藩主の徳川光圀(みつくに)、岡山藩主の池田光政(みつまさ)、金沢藩主の前田綱紀(つなのり)、
会津藩
主
通史編3(近世2)
(藩から県へ)
江戸時代からの藩領を管轄する弘前・黒石・八戸藩と、盛岡藩の減封に伴って明治二年に成立した七戸藩、同年
会津藩
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