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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (秀吉の東国への停戦令)

への停戦令 天正十四年(一五八六)五月二十五日、秀吉は白河(しらかわ)氏(本拠は陸奥白河であるが、佐竹氏,)によると(『新潟県史』資料編三)、会津の蘆名(あしな)氏と伊達氏との間の領土紛争を停止するために、佐竹氏,さらに、これにあわせて、家康成敗後の大名間の領土確定方針を佐竹氏に伝えている。  
通史編2(近世1) (知行安堵と検地)

伊達・最上氏以外では、たとえば天正十八年八月一日に、佐竹義重が常陸(ひたち)国と下野(しもつけ)国に、佐竹氏,そして、貫高表示による知行高の記載は、佐竹氏が宇都宮に呼び出される直前の七月十六日、領内の給人(きゅうにん,このことは、翌年の九戸合戦がそれを示すように、この段階では佐竹氏のように領内に指出を徴収して家臣知行制
通史編2(近世1) (城破(わ)り)

このほかにも、七月二十八日、宇都宮滞在中の秀吉の破城令が、佐竹氏にいち早く伝えられる。
通史編2(近世1) (関東・奥惣無事令)

さて、奥羽に対しては、「関東・奥羽惣無事之儀、今度家康ニ被仰付条」とある、佐竹氏の家臣多賀谷重教に宛てた
通史編1(古代・中世) (北奥における建郡)

基頼の指揮のもと、平泉藤原氏・越後城氏・常陸佐竹氏のような新興領主層が育成され、その時代に、まったく新
通史編2(近世1) (鷹献上による豊臣政権との折衝)

それが秀吉の怒りを買い、天正十八年(一五九〇)七月十三日、領地を没収されて佐竹氏に預けられ、その際剃髪
通史編2(近世1) (二代信枚の動向)

慶長八年六月十日に為信は佐竹義宣の家臣大野蔵人へ書状と祝儀を遣わし、入部後の佐竹氏と友好関係を結ぶことを
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

しかし、政宗のほか上杉氏・佐竹氏・宇都宮氏など北国・北関東の大名衆、そして秋田氏・小野寺氏・最上氏・由利衆
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

慶長八年ヵ(一六〇三)六月十日、津軽為信、秋田久保田城主佐竹義宣の家臣大野蔵人へ書状を遣わし、入部後の佐竹氏
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