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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (家中屋敷の郭外移転)

されたとみられる「津軽弘前城之絵図」によれば、城内は本丸・内北の郭・西の郭を除いては「侍屋敷」または「侍町,城下の侍町には召し放ちによって多くの空き屋敷が生じた。,郭内から移転する家臣はこれらの侍町へ移され、新たに侍町の町割りが行われた。,また従来侍町に住んでいた家臣・徒衆・町人も他の町に移転したりするなど、大がかりな住み替えが行われたという
通史編2(近世1) (城下高岡の形成)

三の丸には六九軒の侍屋敷があり、侍町となっていた。,四の郭も侍町で四九軒の侍屋敷があり、北門(北の郭北門、亀甲門)があった。,城の西は侍町の西側、岩木川沿いに配置されていた。,この絵図の通りには町名が書かれており、それにより町名がわかるところは、袰(ほろ)町(現四の郭)、侍町(,足軽町(現若党町と在府町)、小人町(現小人町、笹森町、長坂町)、歩者(かち)町(現若党町)、侍町(現四
通史編3(近世2) ((三)住居)

たかじょうまち)・五十石町(ごじっこくまち) 城北――御徒町(おかちまち)・小人町(こびとちょう) 城東――侍町,(現百石町(ひゃっこくまち)) 城南――侍町(現在府町(ざいふちょう)) がみられ、郭内の二の丸・
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

同十年、同十二年と続き、弘前城を囲む堀端の白銀町と大浦町は上級藩士の住む武家地となり、蔵主町・笹森町も侍町,元禄と宝永の二度にわたる武家屋敷の城外移転により、城東地区に下級武士を中心とする新たな侍町が形成されたのである
通史編3(近世2) (幕末期の市域)

富田新町・新品川町・新寺町新割町なども慶応から明治初期にかけてできた侍町である(『新撰陸奥国誌』)。
通史編2(近世1) (城下弘前の変化)

第三に土手町南西側(現山道町)と北東側(現瓦ヶ町)に新たな侍町ができたこと。,一〇六〇人が城下を離れたといわれており、そのため城下の侍町などに大量の空屋敷が生じ、城内に屋敷をもらっていた
通史編2(近世1) (土着策と弘前城下)

・片山町・植田町・山道町・住吉町・桶屋町川端町  全体として、城の東側の町域と、宝永期に形成された侍町,坪 右以下一統 以上の一三町を「禄定町」として城下町再編の基本とし、潰れ町となっていた町内はもとの侍町
通史編2(近世1) (元禄の大飢饉と家臣召し放ち)

支障をきたすことになり、そのため、元禄九年一月二十一日には出火の際の火消役を臨時に、昼夜の別なく郭外・侍町
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