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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (保守派との合同団結)

保守派との合同団結 明治十四年十月二日、本多庸一は野呂源太辞任による中津軽郡県会議員に当選した。,しかし、青森県では、県庁開設以来官途に就いたのは藩の経歴が物を言って保守派のみで、区長、戸長、郡長みな,保守派が絶対多数だった。  ,まず、保守派の代表で県会議長だった大道寺繁禎に合同団結を申し入れた。 / 保守派との合同団結
通史編4(近・現代1) (郷田県令と保守派)

郷田県令と保守派 弘前の東奥義塾グループによる自由民権運動参加への呼びかけは、彼らに悲憤慷慨の士が多 / 郷田県令と保守派
通史編4(近・現代1) (私学東奥義塾の終焉-公立への移管)

弘前事件とは、東奥義塾教員が中心となった民権結社共同会と弘前藩の保守派士族たちとの青森県政における対立,これは、共同会に理解を示した青森県令山田秀典が明治十五年一月六日に急死したことで、保守派の勝利となり、,保守派勢力は公然と東奥義塾の教育方針を非難し、旧藩主に東奥義塾を廃して皇漢学塾復興を請願した。
通史編4(近・現代1) (弘前の紛紜の裏面)

弘前の紛紜の裏面 弘前の事態を混迷させたのは、保守派と意を通じ、佐々木高行らに共同会批判の情報を送りながら,保守派は勢いに乗って東奥義塾の覆滅を企てた。,自由民権派はこの紛紜事件で保守派の大反撃を受けたが、しかし、明治十五年十月の県会半数改選の選挙で、中津軽郡
通史編4(近・現代1) (鍋島知事の対応)

また、保守派の大道寺繁禎を南津軽郡長に任命して進歩派弾圧の口火を切った。,写真64 鍋島幹知事  無神経事件の際は、松沢光憲書記官と本県保守派の猪股俊策・寺井純司らに守られて
通史編4(近・現代1) (明治九年の巡幸)

この九年の巡幸が終わって間もなく、熊本では神風連(じんぷうれん)の挙兵(肥後勤王党保守派の流れをくむ敬神党
通史編4(近・現代1) (県政初期の混乱)

津軽家一門も保守派と時代容認派があった。,そして、保守派は、上京の旅費強要や県治妨害の罪により禁固や罰金刑となった。
通史編4(近・現代1) (弘前の紛紜の始まり)

しかし、本多の県会での発言は、弘前出身の保守派のみならず、多数の県会議員に反対される要素を持っていた。
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