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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (土産品開発への模索)

少子化の影響で、昭和戦後の合併当時のように修学旅行生が押しかける時代は終わった。,修学旅行も海外に出かけたりするケースがある一方、長引く不況で縮小・廃止されるところもある。,もはや修学旅行生のような団体客に期待するだけでは土産物産業の存続は難しいだろう。  
通史編4(近・現代1) (県立工業学校)

工業学校では明治四十五年に東京へ修学旅行をしている。,これまでは十和田湖へ行っているが、弘前市内の中等学校で東京へ修学旅行をしたのは工業学校が早く一番乗りであった
通史編4(近・現代1) (女学生の岩木山登山)

女学生の岩木山登山 弘前女学校では、明治四十二年五月、宿泊を伴う最初の修学旅行を行った。,私立弘前女学校においては夏季休暇利用の修学旅行として岩木山登山を計画したるが、その目的、準備などすこぶる
通史編5(近・現代2) (戦時中の弘高女)

修学旅行も運動会も中止となり、音楽会も規模を縮小して行われている。  
通史編5(近・現代2) (和洋裁縫女学校の躍進)

昭和三年には函館に三日間の修学旅行を実施している。和洋裁縫女学校としては最初の県外旅行である。,弘前高女の札幌修学旅行(昭和七年)よりも早い。柴田校長の卓抜した着眼がここにも活かされている。
通史編5(近・現代2) (合併前後の観光対策)

現に修学旅行生が毎年弘前に来るようになり、「もはや戦後ではない」雰囲気は、日本国民全体の観光熱の高まりからも
通史編4(近・現代1) (県立弘前高等女学校)

大正七年(一九一八)八月、夏休みを利用して四年生有志が北海道へ修学旅行を実施した。,これまでは青森・碇ヶ関・黒石などへのいわば遠足にすぎなかったのが、本格的な修学旅行への幕開けとなった。
通史編5(近・現代2) (県立工業から弘前工業へ)

この日六月八日は四年生以下座頭石に遠足があり、五年生は修学旅行で留守だった。,修学旅行も男子中等学校合同聖地旅行参拝団の形で実施されている。  
通史編4(近・現代1) (細民救済対策事業)

大正三年、中郡の小学校では修学旅行を中止した。
通史編5(近・現代2) (終戦直後の東奥義塾)

戦後の混乱もようやく鎮静化して修学旅行も実施されるようになった。  
通史編5(近・現代2) (嶽籠城ストライキ)

また、待ち望んでいた修学旅行が、生徒全体の三分の二に満たないことから中止になるなど、鬱屈した要因もいろいろあった
通史編5(近・現代2) (観光客受入態勢の必要性)

これらのもとに市の観光は成り立ち、修学旅行生などの団体客が往来することで、市の産業・経済に恩恵を与えていた
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