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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (改革開始以前の状況)

さらに、洋式銃砲の導入と並行して、文久三年(一八六三)に藩では修武堂(しゅうぶどう)と称する武芸鍛錬所,修武堂では総裁として家老西館宇膳(うぜん)が武芸引担方に任命され、以下番方(ばんかた)(軍事部門)の上士,明治元年三月五日、この修武堂に砲隊頭や銃隊教授、洋式武器に精通している者などを結集することで藩の軍制改革
通史編3(近世2) (武芸奨励)

そして同年の末には稽古館跡に武芸修練所(翌年「修武堂」と命名)を新築し、流派にかかわらず「実用」に役立
通史編3(近世2) (御軍政局の発足と組織)

彼らはいずれも修武堂において藩兵訓練に携わってきた番方上士であり、軍制改革といっても西南雄藩のように、,図51.御軍政御用留 目録を見る 精細画像で見る 図52.修武堂扁額 表11.明治元年閏,また前職をみると両人とも修武堂時代の武芸引担を担当しており、山田は御側向(おそばむき)として藩主の側近,さらに前職の項をみると、七人の者が武芸締方・御備方といった修武堂時代からの軍制に参画していたのである。
通史編3(近世2) (幕末期の市域)

一八五八)には古学校(旧稽古館)構内に医学校が創立されたほか、文久二年(一八六二)には同じく練武場(翌年、修武堂
通史編2(近世1) (南溜池の掘削と藩兵の訓練)

また、文久三年(一八六三)には城内に修武堂(しゅぶどう)という道場が設置され、刀槍(とうそう)をはじめとして
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