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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) ((三)主要人物)

○〈俳諧〉内海草坡(うちみそうは)(一七六一~一八三七)  俳人。,寛政二年(一七九〇)、門人宮崎露牛・武田玉之らを同道して石黒宗石(いしぐろそうせき)の門に入り、正風俳諧,○〈俳諧〉三谷句仏(みたにくぶつ)(一七九四~一八六七)  研師・俳人。三谷担斎(たんさい)の子。,主人の玉之は、内海草坡の門人で、慶助も草坡について俳諧を学んだ。,天保年間(一八三〇~四四)の俳諧全盛時代には、句仏時代と称せられ、一世の巨星と仰がれたのである。
通史編3(近世2) ((二)系統図)

和歌 俳諧
通史編3(近世2) ((一)概要)

ここでは弘前城下を中心として開花した和歌と俳諧について、最初にその概要を記しておきたい(出典は『伝類』,俳諧については、宝暦・寛政期以降に著名な人物を輩出している。,今村真種(いまむらみたね)らの中で傑出していたのは三谷句仏(みたにくぶつ)で、天保年間(一八三〇~四四)の俳諧全盛時代
通史編3(近世2) (博奕の種類)

○前句附――俳諧の宗匠が下の句(七・七)の一句を出して、多くの人に上の句(五・七・五)をつけさせ、これに
通史編3(近世2) (津軽国学社中)

し、毎夜、津軽俳壇の重鎮であった内海草坡(うちみそうは)(一七六一~一八三七 名は公民)の家に至り、俳諧
資料編2(近世編1) (第二節 乳井貢の思想【解説】)

天明四年(一七八四)許されて弘前塩分町に閑居し、詩文俳諧を楽しみ、傍ら数学を講じて余生を終えた。  
通史編3(近世2) (学びの光景)

猥談・碁将棋・俳諧等も厳禁。 一、学校での雅楽以外の散楽等は禁止。
通史編3(近世2) (信寿・信著・信寧時代)

、俳人としては涼袋(りょうたい)、和歌・片歌(かたうた)・国学・読本(よみほん)では綾足と名のり、『俳諧源氏
通史編2(近世1) (乳井の思想―「天職」―)

軍学、弓馬、刀鎗の秘術に巧み手で、あるいは茶の湯、俳諧等の嗜(たしな)みに通じるをもって、「武道ニ足レリ
通史編2(近世1) (乳井の略歴)

乳井貢顕彰碑  天明四年(一七八四)に乳井は許され、その後弘前城下の塩分町に閑居して余生を「専ら詩文俳諧
通史編2(近世1) (他領者の入領規制と流通統制)

天保十三年にはなかった「俳諧師」「書画師」などの文人墨客も入領を禁止されたうえ、内々に借家させている他領者
通史編3(近世2) (宗教と交通統制の低下)

記録には囲碁・将棋師、俳諧・書画の遊芸者、料理人・医師・経師(きょうじ)(表具師)・塗師・織師・浄瑠璃語
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

601     一 学問 ………………………………………………………  601     二 文芸―和歌と俳諧
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