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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(自然・原始)
(秋)
同じころ、強い寒気が入ると
八甲田山
・岩木山などの高い山では降雪が始まる。,
八甲田山
の初冠雪は平年十月十四日、岩木山は
八甲田山
より二日遅れになっている。
通史編1(自然・原始)
(ヤマセの風向性)
太平洋側から内陸または陸奥湾に流入したヤマセは、ちょうど
八甲田山
系を迂回して吹いている模様が流線から明瞭,この模様は天気境界でもある
八甲田山
にかかる霧や層雲の厚さから、強弱の始終を含めて青森市側から望見できる
通史編1(自然・原始)
(一 青森県の気象)
中央を縦走する
八甲田山
系は、西側に津軽地方、東側に三八・上北地方及び下北地方に地域分けをしている。,ところが、
八甲田山
系によってせき止められるヤマセは、津軽地方への吹き込みが弱くなり、冷害になっても受ける
通史編4(近・現代1)
(二つの雪中行軍)
歴史のなかで「雪中行軍」といえば、明治三十五年(一九〇二)の一月から二月にかけて、第五連隊が厳冬期の
八甲田山
,この事件は小説家の新田次郎が『
八甲田山
死の彷徨』を発表し、映画『
八甲田山
』でも上映されたことで有名である,当初は秘匿されていたことだったのだが、新田次郎が『
八甲田山
死の彷徨』で発表し、映画でも上映されたため、
通史編1(自然・原始)
(秋)
台風が太平洋側を接近しながら北上する場合は、多雨域が東風の吹きつける
八甲田山
系の東斜面に現われ、強風害,同じころ、強い寒気が入ると
八甲田山
、岩木山など高い山の降雪が始まり、冠雪がみられる。
通史編1(自然・原始)
(日降雪量と年合計降雪量の分布)
平均標高の高い
八甲田山
地の最多は一五メートルを超え、多雪地帯は西部白神山地で一〇メートルを超えると思われる,青森平野は、東部、西部の山地に挟まれ、南方には
八甲田山
があり、風上側の南西側に袋状の津軽平野南部地域がある,西寄りの季節風は袋状の津軽平野南部で拡散し、それが
八甲田山
系の風上斜面側を迂回する収束帯を形成するという
通史編1(自然・原始)
(気候境界と地域特性)
この平均標高一〇〇〇メートル台の南北に走る
八甲田山
系は分水嶺にも相当し、降水量・積雪・気温・日照などの,重要な気候境界ともなっている
八甲田山
系で区分される気候区は「日本海側気候-津軽地域」と「太平洋側気候-
通史編1(自然・原始)
(県内の月別降水量)
津軽地域全体の年間降水量分布をみると、
八甲田山
地から十和田カルデラ帯にかけてが一八〇〇ミリ以上で県内最多域,121 143 166 80 63 45 1016 季節的にみると、夏六月~八月の降水量分布では、
八甲田山
地,冬十二月~二月の降水量はほとんど降雪によるもので、
八甲田山
地を中心とした山岳地帯で五〇〇~六〇〇ミリと
通史編4(近・現代1)
(第五連隊との遭遇)
すなわち三一連隊が
八甲田山
中で二人の五連隊兵士を発見した事実についてである。,苫米地はこの事実を『
八甲田山
麓雪中行軍秘話』にまとめ、彼の孫である福沢善八が昭和五年(一九三〇)八月に,なんと福島は
八甲田山
麓を行軍中、二人の凍死兵を見つけたことを田茂木野で木村宣明捜索隊指揮官に復命しているからである
通史編4(近・現代1)
(第三一連隊の壮挙とその後)
第五聯隊の惨状を見る今日なれは一隊若□〔し〕怪我等あらんには申分なからん、諸氏等は酷寒の絶壁峻険なる
八甲田山
,後藤房之助伍長などは銅像にまで祭り上げられ、現在も観光の目玉として
八甲田山
麓に立っている。,雪中行軍遭難資料館が老朽化し、それを管理する
八甲田山
雪中行軍遭難史蹟保存会も、メンバーの高齢化と費用不足
通史編1(自然・原始)
(台風のコース)
Bの太平洋コースは、
八甲田山
系の東斜面中心に雨量が多くなり、大雨被害が発生する。
通史編1(自然・原始)
(平野内の水系と等高線の配置)
また、山地南端の梵珠山に源を発する大釈迦(だいしゃか)川、
八甲田山
系に源を発する浪岡川や正平津(しょうへいつ
通史編1(自然・原始)
(日照時間からみた地域特性)
ここにも、気候境界(
八甲田山
系)による東西、地域区分の気候特色が明瞭に現われている。
通史編5(近・現代2)
(菊ともみじまつり)
青森県でも弘前城のさくらは全国的に有名であり、秋の紅葉としては
八甲田山
麓のそれが有名である。
通史編1(古代・中世)
(斉明天皇六年の「北征」)
ちなみに弘前市の熊野奥照(くまのおくてる)神社には、比羅夫が小田山(こうだやま)(
八甲田山
)の麓に熊野三所大権現
通史編1(自然・原始)
(海底火山の崩壊)
当時のマグマに由来する火山岩質の地層の厚さと分布の広がりは、火山活動の産物としてもたらされた岩木山や
八甲田山
通史編1(自然・原始)
(津軽平野を覆っていた海)
その周りには岩木山や
八甲田山
などの火山はまだできていなかった。
通史編1(自然・原始)
(環状列石)
拡幅工事に伴って発掘された三戸郡三戸町の泉山(いずみやま)遺跡(晩期・大洞B~C1式土器期)、青森市南郊の
八甲田山
地
通史編1(自然・原始)
(津軽地域の気温と特徴)
この気温差に
八甲田山
地や津軽半島山地による衝立(ついたて)効果が現われている。
通史編3(近世2)
(二代信枚)
中心にした上寺(うわでら)には岩木山麓の西根から、耕春院(現宗徳寺)を中心にした下寺(したでら)には
八甲田山
麓
通史編4(近・現代1)
([付図])
青森県第一高等女学校(蔵主町)開校〈明治34年〉 23 弘前市立病院開院〈明治34年〉 24
八甲田山
雪中行軍
通史編5(近・現代2)
(供出と配給)
これに対して、
八甲田山
麓にある雪中行軍記念像は残された。
通史編1(自然・原始)
(積雪)
八甲田山
系周辺では雪深く、かなりの面積で五メートル以上を占めるといわれる。
通史編4(近・現代1)
(『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記)
行軍クライマックスの
八甲田山
越えで、三一連隊が五連隊兵士と遭遇した記述のことである。
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