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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(古代・中世編) (弘前1~133)

- 弘前59 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前60 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前61 弘前市中別所字葛野,-公卿塚- 弘前62 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前63 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前,64 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前65 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前66 弘前市中別所字葛野,-公卿塚- 弘前67 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前68 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前,69 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前70 弘前市中別所字葛野-公卿塚- 弘前71 弘前市中別所字葛野
通史編1(古代・中世) (その他の城館跡)

ただこれらの館跡には、鎌倉時代の大小の板碑群が五一基(公卿塚(くぎょうづか)六基・石仏(せきぶつ)四十五基
通史編1(古代・中世) (姻戚から伝領した所領)

(つねなり)、経業が大蔵卿に転じて以後、以後正応三年九月までは高階重経(たかしなしげつね)である(『公卿補任
通史編1(古代・中世) (阿弖流為の投降)

そこで田村麻呂は、胆沢地方の安定のために、彼らを許し、奥地の蝦夷の説得に努めたいと願うのであるが、都の公卿,ただ今風にいえば歴代閣僚名簿にあたる『公卿補任(くぎょうぶにん)』という書物では、弘仁元年(八一〇)まで
資料編1(古代・中世編) ([口絵])

高野館跡付近から見た東目屋盆地 乳井茶臼館跡遠景(北西から) 中別所公卿塚
通史編2(近世1) (近世大名と大名課役)

、他領検地、普請役、全国各地の関所番、幕府からの預人(あずかりにん)の管理、預地の管理、皇族・勅使や公卿
通史編3(近世2) (山崎蘭洲)

道徳、道学)とが分かれ、「二道」となってしまった当世の学問世界の状況を憂えている一文(巻五「復松田正公卿
資料編1(古代・中世編) (六 板碑の調査・研究史)

魯仙は、この紀行で中別所の公卿塚の板碑を写生している。,「宮舘邑古碑之図」(平尾魯仙『合浦山水観』〈弘前市立図書館蔵〉所載)中別所の公卿塚の板碑を写生
資料編1(古代・中世編) (-例言-)

紀略=日本紀略   類史=類聚国史   略記=扶桑略記   補任=公卿補任   逸史=日本逸史 一、
通史編3(近世2) ((一)東北諸藩と弘前藩)

二月二十六日、新政府軍は、左大臣九条道孝(くじょうみちたか)を奥羽鎮撫総督(おううちんぶそうとく)に、公卿
資料編1(古代・中世編) ([付図])

弘前市宮舘字宮舘沢 稲荷神社境内 57 弘前市宮舘字房崎 佐藤義明氏宅地内 58~71 弘前市中別所字葛野 公卿塚
通史編1(古代・中世) (「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏)

天文二十一年に浪岡北畠氏が正二位権大納言まで昇った公卿の山科言継(やましなときつぐ)(一五〇七~一五七九
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

………………… 続日本紀・公卿補任 20 ●天平五年(七三三)越前国郡稲帳に、出羽国進上馬の飼秣料。,………………… 続日本紀・公卿補任 28 ●宝亀二年(七七一)六月二十七日、渤海使、出羽国野代湊に来着,………………… 続日本紀・公卿補任 35 ●宝亀十一年(七八〇)三月二十八日、征東大使等任命。,………………… 続日本紀・公卿補任 40 ●天応元年(七八一)九月二十二日、蝦夷征討功労者に授位。,………………… 日本後紀・公卿補任 61 ●弘仁二年(八一一)七月三日、出羽国鎮兵に復三年。
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

………………………………………………………………………………………………………… 国書刊行会本 く 公卿補任
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