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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (公家との関係)

公家との関係 従来、江戸時代における朝廷・公家勢力は、元和元年(一六一五)の「禁中並公家諸法度」で幕府,確かに、幕藩体制下における朝廷・公家の姿にそうした側面があることも事実である。,の朝廷や公家、あるいは公武関係(朝幕関係)の姿が明確になった。,ここでは、津軽家と公家社会との接触について触れることにしたい。  ,西洞院家は名門ではないが、時慶自身は公家間に広い人脈を有し、大名との交渉も多かった。 / 公家との関係
通史編2(近世1) (二 近衛家雑事日記(このえけざつじにっき))

同家の公的な用向き、幕府、各大名、各公家との贈答・往信、近衛家内部の動静など、多岐にわたる記事が記録されている
通史編2(近世1) (一 時慶卿記(ときよしきょうき))

後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の側近として、豊臣政権から徳川政権へ移行する激動期において朝議に参画し、公家
通史編2(近世1) (綱吉政権下における大名課役)

勅使や公家衆の饗応役(きょうおうやく)も大名の役の一つである。,うち、年頭と将軍宣下の勅使は必ず武家伝奏が務め、その他は随時上級公家がその任に当たっている。,勅使には院使や堂上公家(どうじょうくげ)・地下人(ぢげにん)など多数が随行していた。,饗応役を命じられた津軽家は、高家(こうけ)(幕府の儀式典礼を司る人々)吉良義央(きらよしなか)から、「公家衆御馳走所被差置人数諸道具覚
通史編1(古代・中世) (湊安藤氏の誕生)

義満の将軍職辞職以後の行動は兼ねてのスケジュールにしたがったものであり、出家によって公家・武家の差別観,はもとより、公家社会にもっとも根強い身分序列をも超越したところに自分の身を置くことを目指した。
通史編3(近世2) (幕末期近衛家との関係)

たかつかさ)・一条・二条・九条家の五摂家(ごせっけ)に分かれ、歴代の摂政関白を勤めてきた最も由緒ある公家,藩政前期の対公家関係は通史編2(第二章第一節)に詳しいので、ここでは藩政後期から幕末期にかけての近衛家
通史編2(近世1) (正徳から天明にかけての大名課役)

正徳から天明にかけての大名課役 この時期の津軽家の大名課役は、皇族や公家衆の饗応役、普請役、江戸における,また、正徳~天明期において、勅使・公家衆の馳走役が八回にわたって命じられた。
通史編1(古代・中世) (「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏)

を通じてなされてきた武家への官位授与が、幕府の弱体化、将軍権力の失墜という政治状況によって、申請者が公家,その背景には、公家の多くが大名のもとに寄寓したり(在国(ざいこく))、禁裏御料(きんりごりょう)(皇室領
通史編3(近世2) (軍事情勢の膠着)

安政年間から国事に奔走(ほんそう)していた公家(くげ)で、従三位に叙せられていた。
通史編1(古代・中世) (中世の境界認識)

⑥『八幡愚童記』下(鎌倉末成立か、史料一一一八) 若公家一円ノ率土ナラマシカバ、辺境ノ凶徒強力ノ勇士乱逆無止事
通史編3(近世2) (幕末の政情と近衛警備)

以後、警備兵は三条実美(さねとみ)の指揮下に入り、鳳輦供奉(ほうれんぐぶ)(天皇の輿を守衛すること)、公家門守備
通史編2(近世1) (警備引き揚げとその背景)

水野忠成を頼って運動を展開し(北海道庁編纂・発行『新撰北海道史』二―通説一 一九三七年)、多くの幕府要人・公家
資料編2(近世編1) (【解説】)

徳川政権にあっては、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の動乱以後、津軽氏による徳川政権や朝廷公家勢力との関係構築
資料編3(近世編2) (【解説】)

ると、藩主の津軽家が塗物を領内特産品として注目し、朝廷や将軍家をはじめとして、他の大名家、近衛家などの公家
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

 118   二 江戸幕府からの軍役負担 ……………………………………  126   三 対幕府・公家関係
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

(二)相撲興行 朝廷の相撲節会(せちえ)が承安四年(一一七四)に絶えると、公家に代わって武士も相撲を
通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

その宗教政策とは、ごく簡単にいえば公家政権が標榜する天台宗中心の「顕密主義」仏教に対して、幕府が公権力
資料編2(近世編1) (【解説】)

周知のように、近衛家は近世公家勢力の代表的な存在である五摂家七清華の筆頭に位置する家柄である。
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十四年(一六〇九)十一月、幕府、猪熊教利事件に連座して、花山院忠長をはじめとする公家衆を処罰する
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