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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(古代・中世編) (一 乳井茶臼館の立地と現状)

この地は、平川・六羽川(ろっぱがわ)を挟んで西の石川城と向かい合う場所であり、石川と同様、津軽平野の南,また丘陵の西は台地となって続き、先端は約一五メートルの崖となって、平川の支流・六羽川に臨んでいる。,六羽川は現在でこそ単なる用水路にすぎないが、近世の記録には「堀越川」(平川本流)と並ぶ河川として記されており
通史編1(自然・原始) (常盤面)

面の傾斜は下流側で一〇〇〇分の二~三、平川の支流六羽川流域および引座川流域では一〇〇〇分の四~五と緩くきわめて,図21に示したが、浅瀬石川流域から南側の尾上町の舌状台地にかけてと、平川流域から東側の六羽川にかけて分布,六羽川近くの平賀町立西中学校⑲(三五メートル)でも消防署21地点と同様の堆積を示している。
通史編1(古代・中世) (合戦の方法)

ることができるものとしては、天正七年(一五七九)七月に下国安東愛季が津軽に侵攻し、乳井(にゅうい)・六羽川,為信は塗部新七(ぬるべしんしち)ら兵隊を整え、さらに五人の供を連れて敵側の動向を調査に行ったところ、六羽川,もし、この六羽川の合戦で大浦為信が討ち死にしていたとしたならば、津軽の歴史もまた違ったものとなっていたことであろう
通史編1(古代・中世) (大光寺新城跡)

平地の微高地に築城され、六羽川を西方の守りとしている。
通史編1(自然・原始) (平賀面)

平賀面 六羽川の東側にあっては、引座川流域の扇状地性の低湿地を除いて黒石面の周辺に分布し、尾上町八幡崎,六羽川以東では二五~五五メートル、浅瀬石川以北では標高二五~三五メートルで、面の勾配はおよそ一〇〇〇分
通史編1(古代・中世) (女性たちの戦場)

「由緒書抜」(国立国文学研究資料館史料館『津軽家文書』)によると、津軽平野の南部一帯で繰り広げられた六羽川
通史編1(古代・中世) (安藤愛季の津軽侵略)

出陣をするなど(史料一〇二四・一〇二五)、大規模な攻撃を行い、天正七年の七月の出陣では平賀郡茶臼山・六羽川
資料編1(古代・中世編) (二 乳井茶臼館の歴史)

その結果、乳井・沖館・大光寺一帯では激戦が繰り返され、六羽川で行われた合戦では、為信は一時窮地に追い込
資料編1(古代・中世編) ((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)

には、脇本・檜山城主下国安東愛季が、波岡回復のため津軽に侵攻(愛季は波岡御所顕村の岳父)、石川城東方の六羽川
通史編1(自然・原始) (三 津軽平野南部の地形発達)

この結果、浅瀬石川流域や平川-引座川間では開析された扇状地が断片的な分布を示し、平川流域では六羽川および
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

大光寺勢とするのは誤り)、津軽に侵攻し、乳井・六羽川にて大浦為信勢と戦うという。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

大光寺勢とするのは誤り)、津軽に侵攻し、乳井・六羽川にて大浦為信勢と戦うという。
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