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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(刈田・放火)
敵方の
兵糧
を断ち、味方の
兵糧
を調達するという意味もあって、敵地に赴き、実った稲を刈り取ってしまったり、
通史編1(古代・中世)
(狄坂丸の乱)
またこのときには坂丸が「軍士を徴発し
兵糧
を舂運(しょううん)した」とあって、彼らが兵士動員のシステムを
通史編2(近世1)
(一 検地・人質徴収・城破(わ)り・刀狩り)
そして、小田原出陣中の天正十八年四月十一日に真田氏に宛てた朱印状の中で、小田原城を
兵糧
攻めした後に「出羽
通史編1(古代・中世)
(後三年合戦)
数万の軍勢による激しい攻防の末、
兵糧
の尽きた清原氏は金沢柵で滅亡する。
通史編2(近世1)
(幕末期の蝦夷地交易)
慶応二年(一八六六)五月、箱館奉行の御用船健順丸(けんじゅんまる)が青森に入港し、
兵粮
(ひょうろう)八五俵
通史編2(近世1)
(福島正則の改易)
文禄元年(一五九二)の文禄の役には朝鮮に渡海して、竹島で代官を務め、
兵粮
輸送などにも携わっている。
通史編2(近世1)
(西廻海運と領内の整備)
初期における津軽氏による上方廻米は、秋田氏がそうであったように、上方での生活に充てる台所米を中心とした
兵糧
通史編3(近世2)
(松前城の恢復)
稲穂峠方面へ三度引き揚げることとなった官軍兵士たちも疲労の極みに達し、また
兵糧
や武器の補充が緊急の課題
通史編3(近世2)
(民衆の動揺)
61のような高札(こうさつ)を各所に立て、敵兵の領内侵入を警戒し、住民に怪しい者をかくまったり、鉄砲・
兵糧
通史編3(近世2)
(京都詰藩士による視察報告)
っていたこと、戦いは砲撃戦であり、刀や槍はその補助にすぎなかったこと、そして新政府軍は負傷者を病院へ送り、
兵糧
通史編2(近世1)
(寛文十年の情報収集)
対応、石狩の地形と石狩アイヌ・ハウカセの動向、交易がとだえて火の消えたような松前城下の様子、松前藩の
兵糧
等
通史編2(近世1)
(寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)
寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩 寛文蝦夷蜂起に際して、奥羽諸藩は、幕府から軍役発動を命じられたり、
兵糧
・武器,また、松前藩からの要請に応じて、津軽弘前藩、秋田藩、盛岡藩、仙台藩が兵器・
兵糧
の貸与という具体的な形での,じるとともに(資料近世1No.八三七)、出兵人数を公式に届け出た五〇〇人、出動日数を九五日間として算定し、
兵糧
米二三七石五斗
通史編1(古代・中世)
(合戦の方法)
せいこうせん)のほかに、城兵の予期していない裏手の方から攻撃したり、大軍で城を包囲して攻めたてたり、さらには
兵糧
攻
通史編2(近世1)
(地方知行制の復活と借知制の実施)
宛行われ安堵された知行所を自己の裁量で支配・経営し、これを給養地として、自己の責任で軍事力(武器・馬・
兵糧
通史編3(近世2)
(洋式武器の種類)
ところが、幕末の蝦夷地警備以来、長期かつ恒常的な滞陣は藩士の家計を圧迫し、藩が武器・
兵糧
(ひょうろう)
通史編3(近世2)
(松前方面の攻防と青森)
既に斥候隊が派遣され、
兵糧
米などを送っており、青森に滞在していた各藩兵の出兵準備が整えられつつあった。
通史編2(近世1)
((二)蝦夷地出兵の諸段階)
しかし、幕府がアイヌの蜂起に直接指揮権を発動したのはこれが最初であり、津軽弘前・盛岡両藩から武器・
兵糧
資料編1(古代・中世編)
([八世紀])
●天応元年(七八一)正月十五日、蝦夷征討の
兵粮
貢上者に授位。,●延暦七年(七八八)三月二日、
兵粮
を陸奥国に蓄積。
通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)
また米沢から会津に侵入する先陣を最上義光が務め、これらの軍勢の
兵糧
は最上氏から借りることを命じた(資料近世
通史編2(近世1)
(津軽信枚の越後転封)
四、このたび上京した家中の者は、
兵糧
でも何でも売れる物があったら、どこへでも売り払って、越後に上る用意
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
……………………………… 続日本紀 39 ●天応元年(七八一)正月十五日、蝦夷征討の
兵粮
貢上者に授位。,……………………………… 続日本紀 43 ●延暦七年(七八八)三月二日、
兵粮
を陸奥国に蓄積。
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