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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(豊臣再仕置軍の奥州下向)
豊臣
再仕置
軍の奥州下向 秀吉が、その朱印状によって正式に九戸一揆の討伐を命じたのは、天正十九年(一五九一,ところが、葛西・大崎一揆に続いて和賀・稗貫一揆が起こり、次いで九戸一揆が起こったことによって、秀吉の
再仕置
,の軍隊である豊臣軍の進軍ルートがこの時点で津軽領内を通過することになっていたことは、まさに奥羽の地が
再仕置
,浅野長吉は、天正十八年七月の奥羽仕置以後も一貫して信直に対する取次を果たす一方で、今度の
再仕置
においても,図11.浅野長政(長吉)画像 このように、信直の領国糠部郡を含む奥羽の地が奥羽
再仕置
に深く巻き / 豊臣
再仕置
軍の奥州下向
通史編2(近世1)
(二 肥前名護屋での「日本之つき合」)
つき合」 北奥の糠部郡において九戸一揆が鎮圧された直後の天正十九年(一五九一)十月、豊臣秀吉は奥羽
再仕置
通史編2(近世1)
(九戸一揆の意義)
天正十八年の奥羽仕置では検地等の直接的仕置はなされなかったが、この
再仕置
によって南部領にも直接的に秀吉
通史編2(近世1)
(九戸一揆の始まり)
この豊臣軍派遣は、前年の天正十八年七月の奥羽仕置を最初の仕置とすれば、
再仕置
ということになる。
通史編2(近世1)
(北奥羽の領知確定)
領内の諸城の破却が行われ、四八城から一二城へ減少させられたごとく、着実に奥羽の地へは、この天正十九年の
再仕置
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