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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(家臣団構成)
家臣団構成 現在、津軽黒石藩の
分限帳
としては、明暦二年(一六五六)、享保二年(一七一七)、寛延三年(,文化六年の黒石藩成立以前で最も整ったものといわれる寛延三年の
分限帳
には、八〇の役職名と家臣団一六九人の,弘化四年の
分限帳
は、黒石藩時代のものとしては最も古いものである。,役職名は約三〇と簡略なものとなっており、家臣団の数も一四〇人で、寛延の
分限帳
と比べると約三〇人減少している,慶応四年(一八六八)の貼紙がみえるところから、この
分限帳
の職制は、おそらく黒石藩最後のものであろう。
通史編3(近世2)
(勝岳院)
「長勝寺並寺院開山世代調」・「曹洞諸寺院縁起志」・正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」は、いずれも「,正岳院」とするが、享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」に至って「勝岳院」と称していることがわかる。
通史編3(近世2)
(最勝院)
しかし、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」(弘図津)には「本寺高野山心南院」とあり、享和三年(一八,〇三)の「寺社領
分限帳
」(資料近世2No.三九九)には「勧修寺宮院室密乗院兼金剛山光明寺最勝院」とみえる,享和三年の「寺社領
分限帳
」によれば、本堂には八幡宮本地仏として、信枚寄進の阿弥陀仏、信重寄進の勢至・観音
通史編3(近世2)
(本行寺)
しかし、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」では為信からの寄進を五〇石とし、享和三年(一八〇三)の「,寺社領
分限帳
」は信枚から三〇石、信義から二〇石、信寧から三〇石と俵子三〇俵、合わせて八〇石三〇俵の寄進
通史編3(近世2)
(徳増寺)
徳増寺 徳増寺(とくぞうじ)は、「山崎専称寺並末寺由緒記」、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」(
通史編3(近世2)
(白道院)
白道院 白道院(びゃくどういん)は、享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」には、「貞昌寺念仏堂覚入庵
通史編3(近世2)
(安盛寺)
寺領二〇石は、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」によると、信義の寄進によるものであった。
通史編3(近世2)
(梅林寺)
No.四一四)は信義が森岡家は先祖の家にあたるとして寄進したとするが、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
通史編2(近世1)
(野本道玄の招聘)
1695 元禄8 41 銀20枚5人扶持(11月21日改,弘前御家中
分限帳
の覚)。,1697 元禄10 43 銀20枚5人扶持(
分限帳
御日記方)。,1705 宝永2 51 御医者格150石(
分限帳
御日記方)。,1712 正徳2 58 御医者格250石(
分限帳
御日記方)。
通史編3(近世2)
(正伝寺)
「長勝寺並寺院開山世代調」、「曹洞諸寺院縁起志」、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」は、「松伝寺」
通史編3(近世2)
(十一面観音堂)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」には、慶長元年(一五九六)八月十七日に為信の長男信建が鰐口を寄進
通史編3(近世2)
(蘭庭院)
しかし、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」は慶長年間(一五九六~一六一四)に兼平村より弘前へ移ったとする
通史編3(近世2)
(法立寺)
正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」は、寺領五〇石は為信が慶長年間(一五九六~一六一四)に寄進したとする
通史編3(近世2)
(下居宮)
を再建、寺領四〇〇石を寄進し塔頭一〇院と神主安倍を配した(資料近世1No.一七一、正徳元年の「寺社領
分限帳
,享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」(資料近世2No.三九九)によれば、大堂(拝殿)の本尊阿弥陀如来
通史編3(近世2)
(専徳寺)
正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」によれば、慶長七年(一六〇二)、一町田村より元寺町へ移り、それから
通史編3(近世2)
(東照宮)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」には、宝物として信枚寄進の天海筆の東照権現三所像・東照宮名号、信政寄進
通史編3(近世2)
(清安寺)
正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」は、信枚が慶長年間(一五九六~一六一四)に三三石三斗三升を寄進したとする
通史編3(近世2)
(藩政後期)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」(資料近世2No.三九九)は、「貞享検地帳」、正徳の「寺社領
分限帳
,
分限帳
として最も完備したものであり、寺社の財産目録でもあった。,図191.享和3年の寺社領
分限帳
安政二年(一八五五)の「神社微細社司由緒調書上帳」(資料近世
通史編3(近世2)
(耕春院)
正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」によると、寺領一〇〇石は為信が寄進している。
通史編3(近世2)
(橋雲寺)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」によれば、馬上の勝軍地蔵尊、前立仏の不動尊・毘沙門天王・地蔵尊は
通史編3(近世2)
(心応院)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」(同前No.三九九)には、大行院支配となっているが、弘化二年(一八四五
通史編3(近世2)
(大行院)
正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」によると、大峰派九八人、羽黒派一二人、合わせて一一〇人の山伏を束
通史編2(近世1)
(知行安堵)
天正年中大名帳 11 3,4000 5 3 4 B 慶長4年諸侯
分限帳
,10 3 19 4 C 太閤秀吉公時代諸大名
分限帳
,#160; 5 3 3 D 太閤御時代一万石以上之
分限帳
通史編3(近世2)
(誓願寺)
浄土宗諸寺院縁起」は、信枚が慶長十四年、寺領三〇石を寄進したとするが、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
通史編3(近世2)
(熊野宮)
慶長十五年(一六一〇)、信枚が再建し、社領一三石九斗余を寄進したとするが、正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
資料編3(近世編2)
([口絵])
弘前大学附属図書館蔵弘前八幡宮文書) 桜庭村切支丹改証文(本文史料390号) 享和3年寺社領
分限帳
通史編3(近世2)
(修験)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」(同前No.三九九)には、大峰派六六人、羽黒派六人を数え、心応院
通史編3(近世2)
(貞昌寺)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」(同前No.三九九)には、阿弥陀仏・勢至・観音の阿弥陀三尊は為信
通史編3(近世2)
(真教寺)
正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」(弘図津)によると、慶長十四年(一六〇九)に信枚より四石余、寛永十一年
通史編3(近世2)
(神道)
正徳元年(一七一一)「寺社領
分限帳
」に百姓名の禰宜一六人がみえるが、享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
通史編3(近世2)
(曹洞宗)
曹洞諸寺院縁起志」(資料近世2No.四一四)によれば、隣松寺は「本寺不詳」、享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
通史編3(近世2)
(藩政中期四代信政)
正徳元年(一七一一)の「寺社領
分限帳
」(弘図津)は五代藩主信寿の時代のものであるが、貞享検地帳との照合,寺社領は全部で三六九二石余で、享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」(資料近世2No.三九九)の三八五九石余
資料編3(近世編2)
(【解説】)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」は、正徳元年(一七一一)の「御改元帳」を引き継ぐものであり、貞享四年,
分限帳
として最も完備しており、寺社の財産目録であり、この時点での文化財目録であるとも言えよう。
通史編3(近世2)
(神事能)
正徳元年(一七一一)の「町支配
分限帳
」(長谷川成一編『弘前城下史料』上 一九八六年 北方新社刊)には、
通史編3(近世2)
(江戸後期の漆工芸)
前掲『津軽塗』の国日記方
分限帳
に、津軽の塗師のことが書かれている。
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
ちなみに、正徳元年の「町支配
分限帳
」(資料近世1No.一一五三)によれば、当時の町扶持人は高一〇〇石の,計 141人 注) 正徳元年(1711)「町支配
分限帳
」(弘図津)から作成。
通史編2(近世1)
(家臣団の成立)
それは、江戸時代初期の資料はほとんど存在せず、まして家臣団の詳細を記した
分限帳
などは存在しないからである
資料編2(近世編1)
(【解説】)
第二項の町方支配では、藩の御用を勤め扶持米を給与されていた町人の
分限帳
と由緒書、屋敷持ち町人に課せられた
通史編3(近世2)
(出開帳)
四代藩主津軽信政が寄進の阿弥陀仏・十一面観音・薬師如来(享和三年〈一八〇三〉の「寺社領
分限帳
」)が、本地仏
通史編2(近世1)
(元禄の大飢饉と家臣召し放ち)
元禄八年段階の全藩士の知行高が一四万四一六五石四斗二升五合である(「元禄八乙亥十一月廿一日改弘前御家中
分限帳
覚
通史編3(近世2)
(居開帳)
享和三年(一八〇三)の「寺社領
分限帳
」(資料近世2No.三九九)に、本地仏が信枚寄進の阿弥陀、信重寄進
通史編3(近世2)
(二 藩主の日常生活)
やまかたとりしまりやく)など表彰の件、郡奉行より耕作予定書一通差し出しの件、御目見(めみえ)以下の者の
分限帳
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