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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (「分領」と津軽弘前藩)

「分領」と津軽弘前藩 安政六年九月二十七日、津軽弘前藩主津軽承烈(つぐてる)(後の承昭(つぐあきら),・庄内・会津の各藩に対しては、同日、北蝦夷地の警衛を重視するよう達しが出されていて、これらの各藩への分領,図210.蝦夷地分割分領図  さて、弘前・盛岡両藩と、その他四藩に出された達しには相違点が存在する,まず第一に、分領形態について、四藩に対しては、蝦夷地の一部を「領分」として与えると述べているのに対して,表66 分割分領6家へ支給する漁場運上金見込み(安政6年11月) 運 上 金 別段上納金 合   計 / 「分領」と津軽弘前藩
通史編2(近世1) (「分領」はなぜ行われたのか)

「分領」はなぜ行われたのか 安政六年(一八五九)、幕府は従来蝦夷地の警衛に当たっていた津軽弘前・盛岡,分領は、幕府が蝦夷地出兵諸藩に対して軍役負担を強いたことへの見返りとする見方もあるが(『松前町史』通説編一下 / 「分領」はなぜ行われたのか
通史編2(近世1) (「分領」体制下の警衛と政策の実態)

「分領」体制下の警衛と政策の実態 この時期の津軽弘前藩の蝦夷地警衛は、安政期の警衛同様、箱館千代ヶ台 / 「分領」体制下の警衛と政策の実態
通史編2(近世1) (鷹献上システムの成立)

津軽右京亮被仰付差上候条、泊々宿並鷹之餌入念自其所々可申付候也、   十月晦日  (朱印) 秋田分領, 八森、の志ろ、ふすへ沢、舟こし、湊、ゆりの内 あかうつ 仁かふ分領、ふるき、このうら、 景勝分領 
通史編2(近世1) (対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)

その後分領支配が開始されても、滝屋と藤林家は、箱館奉行所との間に物資の購入・輸送を通じて引き続き関係を,また、分領諸藩は物資の集積地である青森に着目し、その商人たちを御用達として、物資の購入と輸送を担わせた,このように、幕末の青森商人は、箱館奉行所や蝦夷地分領諸藩が必要とする物資の供給面、また藩士や物資の輸送面
通史編3(近世2) (戦線の北上)

しかし、慶喜は謹慎を決め、定敬は、分領のあった越後柏崎(かしわざき)へと身を寄せることとなった。,恭順派であった桑名藩家老吉村権左衛門は暗殺され、定敬は恭順を拒否したため、桑名藩は国元にいる恭順派と分領
通史編3(近世2) (幕末の交易活動)

その後、安政六年に蝦夷地が松前藩および東北六藩の分領支配とされると、蝦夷地警備を媒体(ばいたい)とする
通史編2(近世1) (幕末期の蝦夷地交易)

むしろ、彼らの期待は安政二年の箱館開港、同六年の東北諸藩による蝦夷地分領支配を契機として、大量にやってくる
通史編2(近世1) (参勤交代路と街道の状況)

じ、沿道へ献上道中支障なきように命じた朱印状(資料近世1No.四一)には、鷹献上経路の書き出しが秋田分領
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