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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (前九年合戦の勃発)

前九年合戦の勃発 永承六年(一〇五一)、陸奥守藤原登任が、安倍氏の勢力伸張を制するために、秋田城介平重,(繁)成の軍を動員して頼良を攻撃して、ここに前九年合戦が勃発(ぼっぱつ)した。,前九年合戦の前から、北の世界では不穏な動きがあったらしい。 / 前九年合戦の勃発
通史編1(古代・中世) (鎮守府将軍清原武則)

鎮守府将軍清原武則 前九年合戦で安倍氏が滅亡した後は、その論功行賞によって清原武則が俘囚出身者としてははじめて
通史編1(古代・中世) (「東夷征討」祈願)

を伝える『皇代記』(石清水八幡宮記録第二八冊)には「頼義征討東夷之故也」と記され、一見すると七年前の前九年合戦,また、それは七年前の前九年合戦の勝利の単なる報賽供養などではなく、今まさに行われようとしている一大軍事作戦,ちなみに源頼義による前九年合戦の報賽供養願文は、康平七年かその翌年、当代一流の学者として知られる藤原明衡
通史編1(古代・中世) (延久蝦夷合戦の実相)

しかも、前九年合戦を契機に出羽城介が任命されなくなり、陸奥国胆沢城に置かれた鎮守府が出羽国秋田城をも管轄,この戦争で動員された兵力の規模や編成の詳細は不明だが、前九年合戦など同時代の例から考えれば、①陸奥守頼俊,基通事件の黒幕には隣国下野守であった源義家がおり、ライバル頼俊に蝦夷追討使指名の栄誉をさらわれた義家が、前九年合戦,もちろん状況証拠からの仮説でしかないが、前九年合戦において義家の父頼義が行った謀略や、この時代の「武士,陸奥守源義家は、前九年合戦のときと同様に「俘囚を追討す」と記した国解を提出しており、北奥の状況が前九年合戦
通史編1(古代・中世) (頼朝の全国制覇)

写真100 前九年合戦での安倍貞任
通史編1(古代・中世) (狄坂丸の乱)

この事件を最後に、前九年合戦の勃発までのあいだ、中央の記録には北の世界の反乱についての記事がみえなくなる
通史編1(古代・中世) (安倍氏の登場)

とくに安倍氏は青森県域とも深いかかわりをもっていたが、その動向を伝える唯一の史料が、前九年合戦の模様を,そしてよく知られているその冒頭には、前九年合戦以前の在地の状況について、以下のように述べられている(史料四三八
通史編1(古代・中世) (泰衡の死)

九月二日、頼朝は平泉を出て、前九年合戦以来、源氏にとっては因縁の場所である厨川柵を目指して出発した。,その首が陣岡の頼朝のもとに届けられると、実検のうえ、頼朝は前九年合戦の安倍貞任の例にならって長さ八寸の
通史編1(古代・中世) (黄海の戦い)

この戦いは前九年合戦前半のハイライトであるが、官軍は激しい吹雪のなか、糧食も少なく疲れ果てて、貞任軍の
通史編1(古代・中世) (多宇末井の梯)

この逃走経路は、かつて前九年合戦のとき、源頼義が安倍頼時を背後から脅かそうとして、銫屋(かなや)・仁土呂志
通史編1(古代・中世) (田村麻呂と頼朝)

また頼朝は、前九年合戦の源頼義の故事を重視していたこともよく知られている。  
通史編1(古代・中世) (後三年合戦)

後三年合戦 前九年合戦の戦功により、清原武則は俘囚としては初めて鎮守府将軍に任ぜられた。
通史編1(古代・中世) (阿津賀志山の防塁)

たとえば前九年合戦の安倍氏の城柵をめぐる攻防戦では、僧良照の守る小松柵の攻防について、『陸奥話記』に「,たとえば前九年合戦を物語る『陸奥話記』には、安倍貞任最期の舞台となった厨川柵(盛岡市・写真96)について
通史編1(古代・中世) (安倍氏の滅亡)

やがて宗任・家任らが投降してきて、ここに前九年合戦はついに終わった。宗任らは伊予(いよ)国へ流罪。
通史編1(古代・中世) (後三条天皇の登場)

後三条天皇の登場 前九年合戦が終了してから六年後の治暦四年(一〇六八)、藤原道長の外孫であり、道長の
通史編1(古代・中世) (奥州合戦の勃発)

そのことは、自らの「奥州討伐」を、これから折に触れて述べるように、前九年合戦の源頼義の故実に倣って実施
通史編1(古代・中世) (藤崎系図)

時に滅ぼされた長髓彦の兄安日を、事実上その系譜の起点とし、奥州安倍氏をその末裔に位置づけ、安倍貞任が前九年合戦
通史編1(古代・中世) (平泉藤原氏)

亘理権大夫藤原経清を父とし、前九年合戦によって広大な奥羽両国を制した清原武則の嫡宗武貞に再嫁した安倍頼良
資料編1(古代・中世編) ([十一世紀])

●前九年合戦の遠因としての北方の夷。 ●永承六年(一〇五一)?、安倍頼良、鬼切部の合戦に勝利。
通史編1(古代・中世) (中世の境界認識)

阿弖流為(あてるい)の異称とされる「悪路王」、あるいは『陸奥話記』に見える、前九年合戦の一場面として著名
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 樗嚢抄 107 ●前九年合戦の遠因としての北方の夷。
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