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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (剣術)

剣術 ○一刀流(いっとうりゅう)―流祖は伊藤一刀斎景久(いとういっとうさいかげひさ)。 / 剣術
通史編3(近世2) ((三)主要人物)

○〈剣術〉当田半兵衛(とうだはんべえ)(?,○〈剣術〉山田仁右衛門広久(やまだじんえもんひろひさ)(生没年不詳)  先祖は伊賀の人。,○〈剣術〉山鹿次郎作高厚(やまがじろうさくたかあつ)(?,○〈剣術〉小山次郎太夫貞英(おやまじろうだゆうさだふさ)(生没年不詳)  初め山形半十郎茂倫(やまがたはんじゅうろうしげとも,)より当田流剣術の伝授を受けた。
通史編3(近世2) ((二)系統図)

●剣術 ●馬術 ●槍術 ●弓術 ●炮術
通史編5(近・現代2) (明治時代の柔術)

廃藩置県により弘前に置かれた県庁は、青森に移ったものの、城下町としての弘前は藩政時代の気風が残り、柔術、剣術共,/一方、廃藩と同時に、士族の若者達は、エネルギー発散の場として町道場を作り、柔剣術修業に励むと共に、文化面
通史編5(近・現代2) (草創期のスポーツ)

むろん、旧藩時代からの伝統を引き継いだ剣術、柔術、相撲などは近代スポーツと性格を異にしながら、現在まで
通史編3(近世2) (武芸奨励)

異国船が浦賀に渡来して緊迫した状況にもかかわらず、怠慢の者がいるが、剣術・槍術とも流儀にかかわらず面試合稽古
通史編5(近・現代2) (報国団の結成へ)

この中には、銃剣術や射撃などの班もあり、文字どおり戦争と直結するものであった。
通史編5(近・現代2) (撃剣家・市川宇門)

撃剣家・市川宇門 笹森順造とともに武道奨励に力を尽くした市川宇門は、弘前市が生んだ偉大な剣術家である
通史編3(近世2) (信政の文治)

きだ)孫大夫、牧野伴右衛門、川越清左衛門(以上、山鹿流)、遠藤伊兵衛(楠流)、小畑孫八(小幡流)   剣術
通史編3(近世2) (寛政期の城下)

武道についても弓術・馬術・剣術・長刀術・槍術・砲術・和術が教授された。
通史編3(近世2) (改革開始以前の状況)

また、諸組の武芸鍛錬も日時を定められ、各流派の剣術・槍術師範家門弟の弟子二〇人が教官となって、流派を無視
通史編2(近世1) (幕末期の海防体制)

また嘉永四年(一八五一)には家中に剣術師範がいないために本藩藩士対馬覚蔵の弟忠蔵を召し抱えるなど、海防
通史編3(近世2) (信寿・信著・信寧時代)

七代信寧は弓馬・刀槍・兵法・儒道・柔術などさまざまな技芸に関心を持ち、剣術は小野派一刀流の免許皆伝を受
通史編3(近世2) (二 藩主の日常生活)

午後四時より剣術を稽古し午後六時終わる。午後七時夜食。午後十一時ころ就寝。  ,また学者の講釈を聴き、乗馬・剣術などの鍛錬もしていたのである。  ,四日、午後四時すぎより剣術稽古、午後五時すぎ終わる。  ,午後四時ころより剣術を稽古し、午後五時すぎ終わる。  二十一日、午前十一時すぎ麻裃を着用し神拝。
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

 601     二 文芸―和歌と俳諧― ……………………………………  623     三 武芸―剣術
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