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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
勅使
や公家衆の饗応役(きょうおうやく)も大名の役の一つである。,一般に幕府へ派遺される
勅使
には毎年恒例の年頭
勅使
の他、さまざまな慶弔の際、臨時に派遺される
勅使
がある。,うち、年頭と将軍宣下の
勅使
は必ず武家伝奏が務め、その他は随時上級公家がその任に当たっている。,
勅使
には院使や堂上公家(どうじょうくげ)・地下人(ぢげにん)など多数が随行していた。,江戸時代における年頭
勅使
の関東下向」『大倉山論集』二三)。
通史編3(近世2)
(京都詰藩士による視察報告)
東寺には前日から
勅使
仁和寺宮嘉彰(よしあきら)親王が本陣を置いていた。,戦場となった村には人家を小盾とした戦いの跡がみえ、そして、
勅使
である仁和寺宮らが「錦の御旗」二流を差し,しかし、山崎の関門を守る津(つ)藩は
勅使
を迎え、結果として朝廷に帰順を誓った。
通史編2(近世1)
(正徳から天明にかけての大名課役)
また、正徳~天明期において、
勅使
・公家衆の馳走役が八回にわたって命じられた。,宝暦十一年(一七六一)津軽信寧(つがるのぶやす)は
勅使
饗応役を命じられた代わりに、本所御蔵火之番を免じられている,また安永二年(一七七三)八月の
勅使
・女御使馳走役を命じられた際にも神田橋門番を免じられた。
通史編2(近世1)
(近世大名と大名課役)
火消役、他領検地、普請役、全国各地の関所番、幕府からの預人(あずかりにん)の管理、預地の管理、皇族・
勅使
通史編2(近世1)
(奥羽大名の名護屋参陣)
名護屋在陣の諸大名の家臣や召使の者などの中に、「大明国
勅使
」に対し悪口をいっている者がいると秀吉のもとに,「大明国
勅使
」とは、前述のように講和交渉をするために名護屋にやってきた遊撃将軍沈惟敬(チェンウェイチン,(シュイグアン)らであって、秀吉は、徳川家康などの有力大名をはじめ、名護屋在陣の諸将から明の「大明国
勅使
通史編3(近世2)
(一〇代信順の治世)
同年三月十八日に一一代将軍家斉(いえなり)は太政大臣に任じられ、世子家慶(いえよし)も従一位に叙せられたが、その
勅使
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