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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(〈時期的な変遷〉)
が総柱のⅠ型-①でそれにⅡ型、Ⅲ型、Ⅳ型が付属屋になる 8尺主体か 14世紀 日本海側はⅠ型-②が、
北上川
流域,はⅡ型-①かⅡ型-③の主屋となる 6尺代から8尺代 15世紀
北上川
流域はⅠ型-①を主体にⅡ型が、青森県
通史編1(古代・中世)
(安倍氏の柵)
それらの柵は、いずれも自然地形を巧みに利用したもので、磐井川・胆沢川・雫石川といった河川が
北上川
と合流,
北上川
を基幹とする水運のネットワークが構築されていたのである。
資料編1(考古編)
(〈地域的な差〉)
平面形に関しては、Ⅰ型-①を主屋とするものは、宮城県を含む
北上川
流域では各時期を通じて普遍的な平面形であり,宮城県
北上川
流域では15世紀まで7尺代の柱間寸法が多用されるのに、日本海側では14世紀から6尺代の柱間寸法
通史編1(古代・中世)
(蝦夷首長阿弖流為)
前・中・後の三軍のうち、中・後軍からはそれぞれ二〇〇〇人を出して
北上川
を渡り左岸を北上、前軍(史料には,にはばまれて混乱に陥った最中に、今度はその後方を、東山から現れた四〇〇人の蝦夷軍にふさがれ、官軍はもはや
北上川
通史編1(古代・中世)
(多宇末井の梯)
兼任軍の残党は、
北上川
を渡って逃げ、「外浜と糠部との間にある多宇末井の梯(とうまいのかけはし)」に城郭
通史編1(古代・中世)
(胆沢築城)
北上川
とその支流胆沢川が合流するあたりの南西に、古くから「方六(ほうろく)町」といわれた痕跡を残している
通史編1(古代・中世)
(奥大道と文物の流通)
北上川
に沿って北上し、現在のJR花輪線に沿って鹿角に入り、大館を通り矢立峠を越えて津軽平野に入る。,さて平泉藤原氏は、奥大道や
北上川
水運などを整備することによって、北方世界からの物産の調達、南からの文物
通史編1(古代・中世)
(東北地方の古墳時代)
そして五世紀末の東北地方北部には、日本最北の前方後円墳である岩手県角塚(つのづか)古墳がただ一基、
北上川
中流域
通史編1(古代・中世)
(奥州惣奉行葛西清重)
牡鹿郡の牡鹿湊は、太平洋ルートの物資を
北上川
舟運を通じて平泉に運ぶ要衝で、平泉での生活を維持する生命線
通史編1(古代・中世)
(擦文文化の特徴)
サハリン、そして南は青森県を中心とし、七世紀代と推定される初現期の擦文土器については、岩手県および宮城県の
北上川
流域
通史編1(古代・中世)
(奥羽地方の戦国時代)
南部氏は曲折はあったとはいえ津軽地方に勢力を伸ばし、戦国期に入ると南下して
北上川
流域へとその勢力を伸ばしていく
資料編1(考古編)
((3)10世紀後半~11世紀)
馬淵川流域周辺及び
北上川
上流域周辺地域では、これまでの調査からは確認されていない。
通史編1(自然・原始)
(岩木山麓緊急遺跡発掘調査開始~現代)
鹿島沢古墳群については、当時古墳の北限が、岩手県の
北上川
上流域にある西根町谷助平・岩手町浮島などの古墳群
通史編1(古代・中世)
(弥生文化と続縄文文化)
などが出土し、青森県内でも八戸市根城跡、同市湯浅屋(ゆあさや)新田遺跡などのほか、岩手県および宮城県の
北上川
流域
通史編1(古代・中世)
(南部晴政の登場と一族間の対立)
天文九年(一五四〇)ごろまでには
北上川
流域地帯へ進出を図り、志和郡に和賀氏を破り、岩手郡滴石(しずくいし
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