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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(曽我光弘とその妻)
)に「弥二郎」とあるが、延応元年(一二三九)「北条泰時書下状」(史料五六五)、仁治三年(一二四二)「
北条時頼
袖判下文,曽我系図の宝治元年(一二四七)「
北条時頼
袖判下文」(遠野南部家文書)では「光広」と見え、またのちの建武元年頃
通史編1(古代・中世)
(津軽氏の系譜と唐糸御前)
可足権僧正筆記之写』や『前代歴譜』(写真109)などには、先に触れた「唐糸草子」の所伝が取り込まれ、それが強引に
北条時頼
通史編3(近世2)
(万蔵寺)
「曹洞諸寺院縁起志」には、
北条時頼
が衰退していた午堂教院を臨済宗護国寺に改めたとか、霊台寺に改めたなどと
通史編1(古代・中世)
(三 北奥宗教界の中世的転回)
それはともかく、ここでの最大の関心事は、この唐糸御前の悲恋史話が
北条時頼
の廻国伝承とセットをなして語り,「
北条時頼
袖判盛阿奉書」(写真145・史料五七一) 写真145
北条時頼
袖判盛阿奉書 (一,) 花押(
北条時頼
) 平賀(陸奥)郡内大平賀村々事、任二故入道(泰時)殿御時之例一、如レ元可下令,」 (二) 花押(
北条時頼
) 下 陸奥国糠部五戸 補任 地頭代職事 ,一方の(二)は、「
北条時頼
下文」であり、これは、平盛時を陸奥糠部五戸の地頭代に補任したものである。
通史編1(古代・中世)
(時頼廻国伝説)
時頼廻国伝説 当地が得宗領となる次の画期としては、著名な執権の一人である
北条時頼
の時代が考えられる。
通史編1(古代・中世)
(得宗領の分割)
写真110
北条時頼
袖判盛阿奉書 『吾妻鏡』には、泰時の最晩年のこととして、若宮大路下馬橋付近
通史編1(古代・中世)
(四 執権時頼の東国廻国をめぐって)
写真147
北条時頼
それには二つの史料的根拠がある。,前武州禅門(北条泰時)者、救世観音転身、最明寺禅閣(
北条時頼
)者、地蔵菩薩応現云々。,鎌倉時代には、鎌倉幕府-
北条時頼
-「禅密仏教」という政教図式が、宗教的祭祀権の行使という形で、北奥地域,この事実をもって、鎌倉時代における「鎌倉幕府-
北条時頼
-禅密仏教」という政教構図の北奥地域への投入を、,「鎌倉幕府-
北条時頼
-禅密仏教」という宗教政策が、政策としての位置づけを保持しながら、量的ではなく、質的
通史編1(古代・中世)
(津軽の唐糸伝説)
写真105 毘沙門天立像 写真106 『津軽一統志』唐糸前 五代執権
北条時頼
の寵愛の妃
通史編1(古代・中世)
(延久蝦夷合戦と津軽)
高伯寺(現在の大円寺、旧寺地の神岡山には今もなお礎石や基壇が残る・写真75)や、建長六年(一二五四)の
北条時頼
再興伝承
資料編1(古代・中世編)
(一 銅鐘)
この寺は、
北条時頼
が愛妾「唐糸御前」の供養のために建立したと伝えられ、付近には五輪塔や板碑も残されている
通史編3(近世2)
(居開帳)
海蔵寺では、唐糸御前ゆかりの護国寺の本尊で、最明寺入道(
北条時頼
)が信仰した毘沙門天像を、安永元年(一七七二
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
また国上寺の中興は
北条時頼
と伝える。
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
同右 (35) 沖館貴峯山十一面観音 文亀三年 修験 貴峯院 (36) 鯵ケ沢八幡太神宮 未詳
北条時頼
,そのなかにあって、
北条時頼
を開創とする鯵ヶ沢八幡太神宮は、時頼廻国伝説とかかわるだけに、一際異彩を放っていて
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
一部改変して掲載 図38 長谷川成一他『図説 青森県の歴史』1991年 河出書房新社刊 図39 菅原路子「
北条時頼
説話
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