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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(30.十三湖層Ⅶ)(じゅうさんこそう))
30.
十三
湖層Ⅶ)(
じゅうさん
こそう) 小貫ほか(1963)の命名による。 / 30.
十三
湖層Ⅶ)(
じゅうさん
こそう)
通史編1(古代・中世)
(一 十三湊と津軽)
一
十三
湊と津軽 津軽地域と他地域との交易を考えるとき、物資の窓口として
十三
湊(とさみなと)は特筆すべき,岩木川(いわきがわ)をはじめ平川(ひらかわ)・浅瀬石川(あせいしがわ)・十川(とがわ)などの河川はすべて
十三
湖,(
じゅうさん
こ)に流れ込み、これらの河川を利用した水運を想定するとき、
十三
の地はまさに津軽の喉仏(のどぼとけ / 一
十三
湊と津軽
通史編2(近世1)
(岩木川舟運)
(
じゅうさん
こ)に注いだ。,(
じゅうさん
みなと)(現市浦村
十三
)などが挙げられる。,この廻漕のことを「
十三
小廻(とさこまわ)し」と呼んでいる。,ところが、寛文十年(一六七〇)三月十日付の
十三
沖横目宛ての布達によれば、三世寺と板屋野木からの
十三
への,さらに、寛文
十三
年(一六七三)二月三日付の
十三
御蔵奉行宛ての布達によれば、三世寺・板屋野木からの御蔵米
通史編3(近世2)
(農兵の動員実態と要求)
その他にも農兵が配置された場所には
十三
(
じゅうさん
)、小泊(こどまり)などの西海岸地方がみられ(同前)
通史編3(近世2)
(帰田法の発令)
つぐあきら)は前年の凶作により打撃を受けた木造(きづくり)村・羽野木沢(はのきざわ)村・金木(かなぎ)村・
十三
,(
じゅうさん
)村など、現北・西津軽郡の新田地域を視察するとの名目で弘前を発し、二十一日には開発が進められていた
通史編1(自然・原始)
(位置と地勢)
さらに、主要な湖沼には、県境の十和田(とわだ)湖、太平洋側に小川原(おがわら)湖沼群、岩木川の河口に
十三
,(
じゅうさん
)湖がある。
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
しものきり)小道とある下十川(しもとがわ)~原子(はらこ)~飯詰(いいづめ)~金木~相内(あいうち)~
十三
,(
じゅうさん
)を結ぶ下之切通りである。,大道小道帳では磯辺道として鰺ヶ沢~
十三
~竜飛(たっぴ)~三厩(みんまや)~蓬田~油川が一本の道として扱,鰺ヶ沢~小泊間は
十三
街道、油川~蓬田~三厩間は蝦夷地へ渡る奥州街道の延長部(松前街道)として考えられるので
通史編3(近世2)
(商社の活動内容)
たとえば、明治二年九月二
十三
日に今村九左衛門の手船(てぶね)三艘が商社の物品を搭載(とうさい)して青森,け、雇い船二艘で庄内米一二〇〇俵を青森に廻漕(かいそう)することとなった(「家内年表」明治二年九月二
十三
日条,この動きと付随(ふずい)して注目されるのが、翌三年に開始した藩による三厩開発および
十三
湖港口改修工事である,三厩は津軽半島の先端に位置し、松前と
十三
(
じゅうさん
)・鰺ヶ沢(あじがさわ)・深浦(ふかうら)等の西海岸諸港,また、
十三
湖は岩木川舟運(しゅううん)の海の玄関口であり、津軽半島の新田地帯と密接につながっていたが、
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