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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) (30.十三湖層Ⅶ)(じゅうさんこそう))

30.十三湖層Ⅶ)(じゅうさんこそう) 小貫ほか(1963)の命名による。 / 30.十三湖層Ⅶ)(じゅうさんこそう)
通史編1(自然・原始) (地形の発達史)

その当時の津軽平野は、下刻(かこく)作用により深いV字状の河谷(古岩木川)であって、十三湖付近では日本海側,この海水面の上昇により、五所川原礫層の上位には「十三湖層」が三〇~四〇メートルの厚さで堆積している。,十三湖層は砂やシルトを主体とする軟弱な堆積物(N値(9)一〇未満)であり、最終氷期以降の海面上昇による,この時の汀線(ていせん)が五所川原北部と木造を結ぶ線まで達し、大きく湾入した潟湖(古十三湖)が形成されていたと,そして、縄文海進以降の海退期には、潟湖が次第に埋積されていくが、現在の平野北部に位置する十三湖および田光沼
資料編1(考古編) (第4節 弘前地域内の地質系統の放射年代一覧表)

放射年代一覧表 弘前地域内の地質系統の放射年代一覧表 地層名 放射年代 試料採取位置 文献 備考 十三湖層,自然堤防 海津 (1976) 自然堤防堆積物が覆う泥炭層最上部,最上部泥層相当 Gak-5254 十三湖層,下位沖積面堆積物で埋積した埋没樹根,最上部砂礫層相当の基底部 (G) Gak-4776 十三湖層,同上 多田・大矢 (1975) 同上 N-1958 十三湖層 (上部砂部層) 2,900±,西郡木造町亀ヶ岡 海津 (1976) 泥炭中の木片,最上部泥層相当の基底部 Gak-5252 十三湖層
通史編1(自然・原始) (地形の概説)

していて、南から順に扇状地帯・自然堤防帯・三角州帯の三地域に区分し、最北端に潟湖(せきこ)(8)である十三湖,図5 沖積低地の地形(模式図)(海津,1994より転載) 写真3 十三湊遺跡がある砂州は十三湖
資料編1(考古編) (27.五所川原砂礫層Ⅶ)(ごしょがわらされきそう))

十三湖層に覆われる。
通史編1(古代・中世) (一 十三湊と津軽)

岩木川(いわきがわ)をはじめ平川(ひらかわ)・浅瀬石川(あせいしがわ)・十川(とがわ)などの河川はすべて十三湖
通史編1(古代・中世) (後方羊蹄の所在地)

岩木川河口の十三湖に浮かぶ中島遺跡からは、この比羅夫の時代の七世紀まで遡る可能性の高い土師器(はじき),写真36 十三湖と権現崎 写真37 中嶋遺跡出土の土師器(市浦村)  当時の蝦夷の拠点
資料編1(考古編) (36.高根段丘礫層Ⅶ)(たかねだんきゅうれきそう))

本段丘の形成時期は、津軽低地帯下の埋没谷が完成する前で、十三湖層に不整合に覆われる。
通史編1(自然・原始) (津軽平野)

そして、五所川原から平野北端の十三湖にかけては三角州性の低湿地として展開している(青森県、一九七〇)。
通史編1(古代・中世) (「嘉元鐘」)

たとえば『津軽俗説選後拾遺』には、「沈鐘伝説」「十三湖底の鐘」の項があり、十三湖に沈んだという、この鐘
通史編1(自然・原始) (屏風山)

屏風山 日本海に面した鯵ヶ沢町から北部の十三湖にかけては、七里長浜(しちりながはま)と呼ばれる単調な
資料編1(考古編) (〈参考文献〉)

青森県商工部 Ⅶ)小貫義男・三位秀夫・島田昱郎・竹内貞子・石田琢二・斎藤常正(1963) 青森県津軽十三湖地域
通史編4(近・現代1) (巡幸の日誌と弘前)

いま一つは、供奉の参議大隈重信が、十三湖とそれに注ぐ岩木川の逆流による災害常習地帯の現場を視察した際の,大隈はこのために函館において一行と分かれて先行し、青森から五所川原を経て十三湖の湖口まで実地検分した後,十三湖口を視察し、弘前に到着、一行に合流するまでの記述は精細をきわめている。
通史編2(近世1) (岩木川舟運)

浅瀬石川(あせいしかわ)・十川(とがわ)などがあり、平川との合流地点以北では大川(おおかわ)と呼ばれ十三湖,これらの物資は十三湖周辺の小型船によって、七里長浜沖を南下、鰺ヶ沢湊(現鰺ヶ沢町浜町)まで廻漕され、そこから
通史編1(古代・中世) (十三湊空白の百年)

形成されており、砂丘の上面では確実に近世(一六世紀末から一七世紀初頭)の遺構や遺物が認められ、さらに十三湖側
通史編1(自然・原始) (平野内の水系と等高線の配置)

岩木川の河床勾配は弘前市まではきわめて緩やかで、蛇行しながら河口の十三湖へと北流している。
通史編3(近世2) (商社の活動内容)

この動きと付随(ふずい)して注目されるのが、翌三年に開始した藩による三厩開発および十三湖港口改修工事である,また、十三湖は岩木川舟運(しゅううん)の海の玄関口であり、津軽半島の新田地帯と密接につながっていたが、
通史編5(近・現代2) (岩木川改修運動)

堤防の拡充強化、河川合流点の堤防強化、十三湖の逆水予防堤防などが改修工事の焦点となった。  
資料編1(古代・中世編) (一 銅鐘)

なお『津軽俗説選後拾遺』には、「沈鐘伝説」と「十三湖底の鐘」の二つの項があり、「嘉元鐘」にまつわる伝承
通史編5(近・現代2) (景気回復後の弘前市の商業)

西郡,弘前市内,大館,能代 90% 紙類 A 北郡,岩崎,碇ヶ関,中郡,弘前市内 90% B 西郡,十三湖方面
通史編5(近・現代2) (岩木川の大氾濫)

中流から十三湖の河口付近に至る下流にかけては、津軽平野の平坦地を延々と蛇行する。
通史編1(古代・中世) (湊の始まり)

湊の始まり 現在の十三湖に浮かぶ中島からは、律令国家の影響が認められる八世紀代の土師器も出土し、古代
通史編1(自然・原始) (日本海沿岸海域に震源のある地震)

例えば、中世に十三湖周辺を拠点に栄えた安東(あんどう)一族が衰退した最大の原因は、興国(こうこく)元年
通史編1(自然・原始) (水系と等高線の配置)

しんやまだ)川および岩木川の四つの水系に属し、前の二河川は直接日本海に、後の二河川は津軽平野を北上したのち、十三湖
通史編1(古代・中世) (斉明天皇四年の「北征」)

古代から中世にかけて、日本海側では十三湖に代表されるような発達した潟湖を拠点に海人集団を率い、海上交易
通史編4(近・現代1) (青森県の農民運動)

 津軽西北地方が本県農民運動発祥の地となったのは、この土地が岩木川下流の低湿地帯であり、河口の十三湖
通史編1(自然・原始) (第一節~第三節 引用・参考文献)

同説明書、地質調査所 小貫義男・三位秀夫・島田昱郎・竹内貞子・石田琢二・斎藤常正(一九六三) 青森県津軽十三湖地域
通史編2(近世1) (廃田復興・新田開発の進展)

嘉永期に至り、郡奉行後藤門之丞を責任者として岩木川から二八キロメートルに及ぶ用水路を建設し、十三湖周辺
通史編2(近世1) (中世の北国海運)

であるとするという説とがある(小口雅史「津軽安藤氏の虚像と実像―安藤氏研究の現状と課題―」佐々木孝二編『総合研究津軽十三湖
資料編1(考古編) (第1節 地質の概要)

ってまもなく開始した広域的な東西圧縮応力による褶曲運動によって形成された堆積盆であって、五所川原砂礫層及び十三湖層
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第100集) 1986年 *246 市浦村教育委員会 『市浦村十三湖中島遺跡発掘調査報告書,『小田内沼(1)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第107集) 1988年 *264 福田友之 「十三湖周辺地域,の考古学的研究の現状と課題」(総合研究 津軽十三湖)佐々木孝二編 1988年 *265 相馬信吉 「
資料編1(考古編) (-文献リスト-)

.24,P.12-21 ◇53 牛島信義・島田昱郎・三位秀夫・木越邦彦(1962) 八郎潟底層及び十三湖層中,地質調査所 ◇73 小貫義男・三位秀夫・島田昱郎・竹内貞子・石田琢二・斎藤常正(1963) 青森県津軽十三湖地域,地質構造のなりたち-.科学,Vol.55,P.14-23 ◇184 箕浦幸治・中谷周(1990) 津軽十三湖及
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

この年、東京大学東洋文化研究所は、江上波夫・関野雄に早稲田大学の桜井清彦も加わり、津軽半島の十三湖北岸
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

          28.尻高沢層          29.下山形礫層          30.十三湖層
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