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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(6.十腰内遺跡)
6.
十腰内
遺跡 (遺跡番号 02011)(図9~15) (1)所在地 弘前市大字
十腰内
字猿沢 (,遺跡は東北地方北部の縄文時代後期に関する標式土器〈
十腰内
Ⅰ群(式ともいう)~
十腰内
Ⅵ群(式)〉出土遺跡,図9
十腰内
遺跡出土動物型土製品(イノシシ) 図13
十腰内
遺跡出土遺物(4) 土偶・土製品,Ⅰ群(式)土器、15鉢形土器=
十腰内
Ⅳ群(式)土器、16・17壺形土器=
十腰内
Ⅴ群(式)土器、図12-,図14-1~9、図15-10~17=以上
十腰内
Ⅰ群(式)土器、18=
十腰内
Ⅳ群(式)土器、19=
十腰内
/ 6.
十腰内
遺跡
通史編1(自然・原始)
(二 祭祀に特色を示す十腰内土器文化)
二 祭祀に特色を示す
十腰内
土器文化 縄文中期もその後半に入って南の大木式土器が北部に達し、次の後期には,を接する)の出土土器を標式として設定された
十腰内
式土器(Ⅰ~Ⅵ群〈式〉に分類されている)を生じ(68),
十腰内
遺跡出土
十腰内
Ⅰ群(式)土器
十腰内
遺跡出土
十腰内
Ⅰ群(式)土器
十腰内
遺跡出土,
十腰内
Ⅴ・Ⅵ群(式)土器 (21~27 Ⅴ群,28~32 Ⅵ群)
十腰内
Ⅰ群(式)土器(,『岩木山』1966年 P332より) 14~21
十腰内
Ⅰ群(式)土器,22
十腰内
Ⅲ群(式 / 二 祭祀に特色を示す
十腰内
土器文化
資料編3(近世編2)
(●厳鬼山神社 本殿 十腰内字猿沢--県重宝)
●厳鬼山神社 本殿
十腰内
字猿沢--県重宝 棟札に「……十一面観世音精舎一宇……」と記されているように / ●厳鬼山神社 本殿
十腰内
字猿沢--県重宝
資料編1(考古編)
(7.十面沢遺跡)
7.十面沢遺跡 (遺跡番号 02011)(図16) 先述の
十腰内
遺跡と重複するため写真資料を紹介,図16-1壺形土器=
十腰内
Ⅳ群(式)土器、2注口土器=
十腰内
Ⅳ群(式)土器、3壺形土器=
十腰内
Ⅴ群(式,)土器、4細口壺形土器=
十腰内
Ⅴ群(式)土器、5注口土器=
十腰内
Ⅴ群(式)土器、6壺形土器=
十腰内
Ⅴ群,2、注口土器=
十腰内
Ⅳ群(式)土器 3、壺形土器=
十腰内
Ⅴ群(式)土器 4、細口壺形土器,=
十腰内
Ⅴ群(式)土器 5、注口土器=
十腰内
Ⅴ群(式)土器 6、壺形土器=
十腰内
Ⅴ
資料編1(考古編)
((5)縄文時代後期)
十腰内
第Ⅱ式は加曽利B1式、
十腰内
第Ⅲ式は加曽利B2式に類似の文様構成を持ち、縄文の施文されない部分は,本県の縄文時代後期は特色ある葬法を伴い、特に
十腰内
第Ⅰ式期にそれが多い。,図9 縄文時代後期の土器(1)
十腰内
第Ⅰ式土器… 弘前市・十面沢遺跡(弘前大学蔵)
十腰内
第,…弘前市・
十腰内
遺跡
十腰内
第Ⅲ式鉢形土器… 岩木町・湯ノ沢遺跡
十腰内
第Ⅲ式土器,
十腰内
第Ⅴ式香炉形土器… 五戸町・上市川遺跡 (青森県立郷土館蔵)
十腰内
第
資料編1(考古編)
((1)石器と石製品の種類)
Ⅰ ● ● ○ ● ● ● ● ○ ● ● ○ ● ● ● ○ ○ ○
十腰内
,Ⅱ ○ ● ○ ○ ○ ● ● ● ○ ● ● ○ ● ○ ○
十腰内
,Ⅲ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
十腰内
,Ⅳ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
十腰内
,Ⅰ ● ● ● ○ ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ○
十腰内
資料編1(考古編)
([付図])
2888ほか 包含地 平安 02139 猿沢(22)遺跡 弘前市大字
十腰内
字猿沢1859-5・6ほか,弘前市大字
十腰内
字猿沢1700ほか 包含地 平安 02163 野中(5)遺跡 弘前市大字
十腰内
字野中,450-3・4・6・7ほか 包含地 平安 02169 狐森(2)遺跡 弘前市大字
十腰内
字野中86ほか,Ⅰ式) 10 02010
十腰内
(1)遺跡 弘前市大字
十腰内
字猿沢 丘陵斜面 集落跡 縄文(後期) 縄文土器,11 02011
十腰内
(2)遺跡 弘前市大字
十腰内
字猿沢 丘陵上平坦面 包含地 縄文(後・晩期)
資料編1(考古編)
(44.十面沢円頂丘群Ⅴ)(とつらざわえんちょうきゅうぐん))
模式地は、岩木火山北東麓の
十腰内
~十面沢付近。,岩相は、輝石安山岩質の火砕岩または同質溶岩から成り、
十腰内
石と呼ばれ採石される。,備考:一色・大沢(1967)の
十腰内
小丘群に相当する。
通史編1(自然・原始)
(亀ヶ岡文化の広がり)
十腰内
第Ⅵ群(式)土器(大洞B式) 木造町・亀ヶ岡遺跡 (個人蔵) 大洞BC式注口土器,弘前市・
十腰内
遺跡(旧カメコ山) (東北大学文学部考古学研究室蔵) 大洞C1式壺形土器,弘前市・
十腰内
遺跡(旧カメコ山) (東北大学文学部考古学研究室蔵) 大洞A'式壺形土器
資料編1(考古編)
((1)石棺墓)
なお、当該遺構の時期は、伴出した甕棺により
十腰内
Ⅰ群(式)土器期とされている。,南津軽郡 平賀町唐竹堀合 3基 長方形 円形 2.00×0.70 ~0.80 〔後期〕
十腰内
,昭和47) 堀合Ⅲ号 南津軽郡 平賀町唐竹堀合 1基 長方形 1.60×0.90 〔後期〕
十腰内
,平賀町唐竹堀合 12基 長方形 0.60×0.40 ~2.00×0.50 〔後期〕
十腰内
,60) 弥栄平(4) 上北郡 六ヶ所村上尾駮 1基 楕円形 1.90×1.30 〔後期〕
十腰内
資料編1(考古編)
((2)縄文時代早期)
最花,中の平Ⅲ 大木10 時代 型式名 縄文時代 つづき 後期 牛ヶ沢 沖附 弥栄平
十腰内
,Ⅰ
十腰内
Ⅱ
十腰内
Ⅲ
十腰内
Ⅳ
十腰内
Ⅴ
十腰内
Ⅵ 晩期 大洞B 大洞BC 大洞C1
資料編1(考古編)
(2.天王沢遺跡)
出土遺物は、縄文時代後期終末の
十腰内
Ⅵ群(式)土器の破片と石匙(2点)・スクレパー(1点)のみであり、,青森県教育委員会『小栗山地区遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書11集)1974年3月 図2
十腰内
通史編1(自然・原始)
(栽培の問題)
については、さきに三内丸山遺跡の記述で触れたが、縄文時代にはそのほかに八戸市是川の風張遺跡で、後期の
十腰内
,Ⅳ群(式)土器期の土層からキビが、同じく
十腰内
Ⅴ群(式)土器の層ではアワの実(種子)が出土しているといわれている,の土層から炭化米や籾も発見され(85)、視野を広げると八戸市風張(かざはり)(1)遺跡でも後期終末の
十腰内
資料編1(考古編)
(16.鬼沢猿沢遺跡)
(4)遺構・遺物の概要 遺跡としては、縄文時代後期の
十腰内
Ⅴ群(式)土器の竪穴住居跡1軒・土壙27,出土遺物が少ないため時期の不明なものも多いが、明瞭なものは竪穴住居跡と同様に
十腰内
Ⅴ群(式)土器期である,Ⅱ群に分けられた縄文土器は第Ⅰ群後期(
十腰内
Ⅴ群(式))・第Ⅱ群晩期(大洞A式)であり、石器・石製品には
資料編1(考古編)
((1)縄文時代の甕棺墓)
なお、両遺跡の時期は、後期の
十腰内
Ⅰ群(式)土器期である。 ,②…昭和42年(1967)南津軽郡平賀町唐竹の堀合Ⅰ号遺跡で発見された、後期の
十腰内
Ⅰ群(式)土器期の,⑤…同年9月、上北郡六ヶ所村尾駮の農林省上北馬鈴薯原原種農場内から、成人骨入りの後期
十腰内
Ⅰ群(式)土器期,いずれも後期の
十腰内
Ⅰ群(式)土器期に属する*240。,この骨は、縄文時代後期の
十腰内
Ⅰ群(式)土器期における甕棺葬法を知る重要な資料となった。
通史編1(自然・原始)
(三 亀ヶ岡土器文化の発展)
この土器文化は、さきの後期に繁栄した
十腰内
式土器を母胎にして生まれ、さらに
十腰内
式土器をしのぐほどに成長発展
資料編1(考古編)
([口絵])
写真上は巌鬼山神社近くの南砕石場で、赤褐色角礫凝灰岩(※印)の上下に安山岩質溶岩が見られ、
十腰内
石として,考古 大森勝山遺跡出土旧石器
十腰内
遺跡出土壺形土器(縄文後期)
十腰内
遺跡出土鉢形土器,(縄文後期)
十腰内
遺跡出土浅鉢形土器(縄文後期)
十腰内
遺跡出土動物型土製品(イノシシ
通史編3(近世2)
(観音信仰)
このうち、久渡寺(現市内坂元、第一番札所)・
十腰内
(とこしない)(現市内
十腰内
巖鬼山(がんきさん)神社
資料編1(考古編)
((6)縄文時代晩期)
図11 縄文時代晩期の土器(1)
十腰内
第Ⅵ式土器(大洞B式)… 木造町・亀ヶ岡遺跡(個人蔵),(旧カメコ山)(東北大学蔵) 大洞C1式壺形土器… 弘前市・
十腰内
遺跡 (旧カメコ山,)(東北大学蔵) 大洞C1式広口壺形土器… 弘前市・
十腰内
遺跡 (旧カメコ山)(東北大学蔵,) 大洞C1式注口土器… 弘前市・
十腰内
遺跡 (旧カメコ山) (東北大学蔵),大洞C1式壺形土器… 弘前市・
十腰内
遺跡(旧カメコ山) (東北大学蔵) 図13 縄文時代晩期
通史編1(自然・原始)
(環状列石)
昭和二十九年(一九五四)に、下北半島の東北端で発掘された東通村尻屋にある尻屋札地(ふだち)遺跡(後期・
十腰内
,の田子(たっこ)町から秋田県の鹿角市に向う国道一〇四号に接して発見された田子町関の在家平遺跡(後期・
十腰内
,青森大学・青森市教育委員会により調査され、国の史跡指定を受けた青森市野沢の小牧野(こまきの)遺跡(後期・
十腰内
資料編1(考古編)
((4)土製品)
後期の中ころである
十腰内
Ⅰ群(式)土器期に多い。 ,*86 動物型土製品としては、弘前市
十腰内
遺跡で出土したイノシシを表したものがある。,
十腰内
Ⅲ群(式)土器期の所産と考えられる。,土製品には以上のほかに、釣鐘のような形態を持った鐸形(たくがた)土製品(後期の
十腰内
Ⅰ群(式)土器期に,多い)、土器片を円形に擦って作った円版状土製品(これも
十腰内
Ⅰ群(式)土器期に多い)、三角形の柱を10cm
通史編1(自然・原始)
(第一期)
第一期
十腰内
および十面沢付近に分布する十面沢小丘群や、岩木火山南東方の兼平石を形成するような、いわゆる,溶岩円頂丘(10)である兼平石や
十腰内
石(十面沢小丘群からの採石をいう)、また北麓の白草山と北側の小丘,ちなみに、
十腰内
の貴船神社の御神体も板状の安山岩であり、南麓にある森山の斜面にみられる崖錐物(がいすいぶつ,なお、佐々木ほか(一九九六)は十面沢小丘群を「
十腰内
岩屑なだれ」として考え、〇・二四±〇・〇
資料編1(考古編)
(8.砂沢遺跡)
出土遺物は、竪穴住居跡より出土の縄文時代後期後葉の
十腰内
Ⅳ群(式)と同Ⅴ群(式)土器(図20)をはじめ,砂沢遺跡出土土器(砂沢遺跡発掘調査報告書-1988年より) 図19 砂沢遺跡出土遺物(1)
十腰内
,Ⅴ式香炉形土器 2b住居跡
十腰内
Ⅴ式注口土器 2b住居跡
十腰内
Ⅴ式注口土器 2b
通史編4(近・現代1)
(民次郎百年忌)
仝 弥三右衛門(大赦により十二月廿八日十四里四方追放大場構) 高杉組
十腰内
甚太郎子, 弥五左衛門 高杉組貝沢村 仝 三鞭 善太郎 仝組
十腰内
村, 勘十郎 仝組大森村庄屋 鞭刑三庄屋取放ノ上 兵次郎 仝組
十腰内
村庄屋, 清吉 仝組大森村五人組 五人組取放ノ上三十日戸〆 善吉 仝 仝組
十腰内
村五人組
通史編1(自然・原始)
(石棺墓)
さきの再葬土器棺墓と同じく、後期中葉の
十腰内
Ⅰ群(式)土器に多く、なかでも津軽地方の浅瀬石川と平川流域
通史編1(自然・原始)
([口絵])
尾上山(3)遺跡6号土坑遺物出土状況 (縄文時代前期、青森県埋蔵文化財調査センター提供)
十腰内
,Ⅰ遺跡3号住居跡 (縄文時代晩期、青森県埋蔵文化財調査センター提供)
十腰内
Ⅰ遺跡1号竪穴住居跡
通史編5(近・現代2)
(裾野中学校の開校)
学区は統合前の両中学校学区で、貝沢、大森、十面沢、
十腰内
となっている。
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
主な遺跡……449 第1節 縄文・弥生の遺跡……450 図1 沢部Ⅱ号遺跡出土遺物 図2
十腰内
,弘前市大沢出土遺物 図7 大森勝山遺跡出土遺物 図8 大森勝山遺跡大竪穴住居跡内出土遺物 図9
十腰内
遺跡出土動物型土製品,(イノシシ) 図10
十腰内
遺跡出土遺物(1) 図11
十腰内
遺跡出土遺物(2) 図12
十腰内
遺跡出土遺物,(3) 図13
十腰内
遺跡出土遺物(4) 図14
十腰内
遺跡出土遺物(5) 図15
十腰内
遺跡出土遺物
資料編1(考古編)
(2.縄文時代の住居跡)
前半期の弥栄平(いやさかたい)(1)式土器期のものが、先の富ノ沢(2)遺跡で発掘され*188、それに続く
十腰内
,さらに、
十腰内
Ⅱ~Ⅴ群(式)土器期へと変遷するが、住居跡の平面形は後期初頭において、楕円形を呈するものが,発掘数の53%、次いで円形の45%、
十腰内
Ⅰ群(式)土器期になると、円形が多くなって逆転し52.3%、,楕円形38.9%、隅丸方形2.2%となり、
十腰内
Ⅱ群(式)土器期以後は発見事例も少なくなるが、平面形は
通史編1(自然・原始)
(扇状地周縁の地形)
また、北東側の十面沢および
十腰内
付近には御月(おづき)山(二〇二メートル)、伝次森(でんじもり)山(一五一,裾野部分は古岩木火山の崩壊物である岩屑なだれ堆積物で覆われ、大森・
十腰内
・三日月開拓・夕日ヶ丘開拓などでも
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
對馬安次郎 笹舘村 (欠落) 旧高杉組
十腰内
村
通史編1(自然・原始)
(縄文集落)
秋田県鹿角(かづの)市の高屋館(たかやだて)遺跡は、後期前葉の
十腰内
Ⅰ群(式)土器期の各遺構が、配石遺構
資料編1(考古編)
(1.沢部Ⅱ号遺跡)
なお、隣接の沢部Ⅰ号遺跡(遺跡番号 02001)では発掘調査の結果、縄文時代後期に属する
十腰内
Ⅰ群(式
資料編1(考古編)
(〔大沢(1962)による岩木火山形成史〕)
特に、通称「
十腰内
小丘群」は、泥流堆積物の末端にしばしば見られる泥流丘*28であると主張し、1888年
資料編1(考古編)
(9.高長根山遺跡)
出土遺物は縄文時代中期の円筒上層b・c・d式土器、同後期の
十腰内
Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅴ群(式)土器(図22)、
通史編3(近世2)
(下居宮)
とし、岩木山百沢寺光明院と左峰の国安珠姫(くにやすたまひめ)(田都比(たつひ)姫)を十一面観音とし、
十腰内
通史編4(近・現代1)
(小学校令と中津軽郡)
昭和三十五年時敏小学校に統合) 簡易小学校となったもの二〇校
十腰内
簡易小学校(二十年四月、現修斉小学校
通史編1(自然・原始)
(まえがき)
なかでも大森勝山遺跡における大型竪穴住居跡・環状列石ならびに本県最初の旧石器の発見をはじめ、
十腰内
遺跡出土
通史編5(近・現代2)
(バス事業の復興・伸展)
さらに弘前-
十腰内
線、弘前-高山線等の路線の長距離化か相次ぎ、昭和二十六年には板柳営業所を開設、二十八年
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
資材運搬路の工事によって調査され、円筒下層d1式から円筒上層式を経て、榎林式・中ノ平Ⅲ式(最花式)、後期の
十腰内
,弘前市教育委員会の『岩木山』(岩木山麓古代遺跡発掘調査報告書)の中で、昭和三十五年(一九六〇)調査の「
十腰内
遺跡,の江坂輝禰は、南津軽郡平賀町唐竹(からたけ)の堀合(ほりあい)Ⅰ号遺跡で、成人骨が入った縄文時代後期
十腰内
,Ⅰ群期の甕棺が二個体分発見され(162)、さらに翌年の五~七月にかけて、堀合Ⅰ号遺跡から
十腰内
Ⅰ群期の,縄文時代後期は甕棺墓(かめかんぼ)と並んで、組石石棺墓(くみいしせきかんぼ)なるものもおもに
十腰内
Ⅰ群期
資料編1(考古編)
((3)石製品)
後期の
十腰内
Ⅰ群(式)土器に共伴するものが多く、原材は翡翠(ひすい)とされ、一ノ渡遺跡の例は新潟県の青海,小玉類は、臼玉・管玉・丸玉・有孔石製品などがあり、これらは後期の
十腰内
Ⅰ群(式)土器期に出現し、晩期を
通史編5(近・現代2)
(弘前市農協の合併)
一二農協では臨時総会)が開催され、二六農協のうち、一農協(新和)を除いて二五農協(清水森、和徳、松木平、
十腰内
資料編1(考古編)
(10.弘前城内遺跡)
、縄文時代前期の円筒下層b式・同d1式土器、同時代中期の円筒上層a・b・c式土器のほか、同時代後期の
十腰内
資料編1(考古編)
(14.尾上山(2)遺跡)
群中期(円筒上層a・同b式=図30・同c式・同d式・同e式・榎林式・最花式・大木10式)・第Ⅳ群後期(
十腰内
通史編1(古代・中世)
([付図])
裸森遺跡 〃 〃 山林 包蔵地 〃 9 大森中沼遺跡 〃 〃 107ほか 畑・宅地 集落跡 〃 10
十腰内
,(1)遺跡
十腰内
字猿沢 畑 包蔵地 〃 11
十腰内
(2)遺跡 〃 〃 山林・畑 集落跡 〃 12,弥生 平安・鎌倉 68 手白森遺跡 大森字勝山495の507 山林 包蔵地 縄文 69 甕子山遺跡
十腰内
字猿沢,縄文・平安 117 鬼沢猿沢遺跡 鬼沢字猿沢337・349 〃 集落跡 縄文 118 猿沢(1)遺跡
十腰内
字猿沢,十面沢沢田(2)遺跡 十面沢字沢田32の3ほか 宅地・畑 散布地 縄文 202 猿沢(42)遺跡
十腰内
字猿沢
資料編1(考古編)
((2)石器)
前期の円筒下層a式土器期から、後期の
十腰内
Ⅱ群(式)土器期まで存続し、前期の円筒下層式土器期に多い遺物,のようであるが、縄文時代の早~中期にかけては数量の面で縦形に圧倒されており、それが逆転するのは後期終末に近い
十腰内
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
入内観世音堂 未詳 慶長年間の創立と伝える (32) 地主白山大権現 未詳 神職 同右 (33)
十腰内
観世音,未詳 百沢寺(真言宗) 岩木山三所権現を参考 (34)
十腰内
大石大明神 同右 同右 同右 (35),寺院〉 寺院名 宗教名 本寺 創立年次 備考 (1) 百沢寺 真言宗 不詳 真言五山寺 初め、
十腰内
村,具体的にいえば、百沢寺は『津軽一統志』が「往日有二山東腰内村一」(写真139)と伝えるように、もともとは
十腰内
村,を挙げると、「神社」の項でみた岩木山三所大権現の別当寺院である百沢寺は 別当寺院ハ者往日有二山ノ東
十腰内
村
通史編1(自然・原始)
(一 弘前市の位置および外形)
図1 弘前市の位置と外形 弘前市の東西南北の端をみると、まず最北端は岩木山北麓に位置する
十腰内
資料編1(考古編)
(15.尾上山(3)遺跡)
群前期(円筒下層b式・同c式・同d1式・同d2式)・第Ⅲ群中期(円筒上層e式・最花式)・第Ⅳ群後期(
十腰内
通史編2(近世1)
(廃田復興・新田開発の進展)
は一二九六町八反歩で、現在の弘前市域に限っても、小友村のほか、和徳組津軽野村、高杉組高杉村・楢木村・
十腰内
,なかでも規模が大きいのは
十腰内
村で、「格別宜地面之儀」と高い評価で、開発御用掛の両奉行が検分、人夫七〇〇
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