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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(夷千島王の朝鮮遣使)
夷
千島
王の朝鮮遣使 文明十四年(一四八二)四月、足利義政の使者栄弘(えいこう)と夷
千島
王(えぞがちしまのおう,さて、夷
千島
王の使者については、朝鮮側はこの国の存在を知らない上に、宮内卿が朝鮮側からの質問に適切に答,この夷
千島
王を名乗る人物については、日本と対等の国として発言していること、朝鮮北部国境地方のようすを知,日の本将軍の呼称と同じように、この夷
千島
王についても、地域の自立性が指摘されるのである。 ,、その表記は朝鮮での女真人(じょしんじん)の俗称である「野人」や朝鮮語の音や訓を用いたものであり、夷
千島
王 / 夷
千島
王の朝鮮遣使
通史編2(近世1)
(帝政ロシアの南下)
さらに十八世紀に入ると、南下政策に伴う活動が活発化し、
千島
列島への進出が始まった。,正徳元年(一七一一)に始まるロシアの
千島
進出は、一七五〇年代には
千島
列島中部、一七六〇年代には
千島
列島南部,図149.蝦夷地関係図 こうして、ロシアの日本探索は
千島
列島経由が主流となっていくが、その対日南下政策
通史編4(近・現代1)
(探検時代)
ほしいい)、特別の草鞋(わらじ)を持って脱走人のごとく弘前を出て、函館から軍艦磐城(ばんじょう)に乗り、
千島
探検,この探検の見聞に
千島
列島の拓殖と警備、十三ヶ条の提案を掲げ、『
千島
探験』一巻にまとめ要人に献呈した。
通史編1(古代・中世)
(津軽奪還を目指して)
目録を見る 精細画像で見る 写真184 安東師季願文 文明十四年(一四八二)、「夷
千島
王遐叉,しかし、使者の宮内卿は夷
千島
のようすを聞いてもわからないほどの者であり、また朝鮮側に提出した書契は宮内卿,この「夷
千島
王遐叉」の正体については諸説あり、夷
千島
王遐叉を安東政季とすることは難しい。
通史編1(古代・中世)
(中世の境界認識)
東は阿古流や津軽・俘囚が
千島
なり共、左府住としりなば、駒に鞭をも打ぬべし。,史料一一二三) 君の御供とだに思ひ参らせ候はば、西は西海の博多の津、北は北山、佐渡の島、東は蝦夷の
千島
, これらの史料を通じて、東の境界としては、アクロ(阿古流・アクル・安久留)・津軽・外浜・夷島・
千島
,夷島は北海道、また
千島
は現在の
千島
列島に限定されるものではなく、夷島からさらに遠方に連なると想像されていた
通史編5(近・現代2)
(ソ連からの引揚げ督促)
しかしこれ以後も難航したのが、ソ連支配下のシベリア・樺太(現サハリン)・
千島
・北朝鮮からの引揚問題であった,弘前市のみならず青森県は「北の要塞」を担っていたこともあり、シベリア・樺太・
千島
からの引揚者も多かった
資料編1(考古編)
(3.N3(後期中新世-鮮新世、7~1.7Ma))
東北日本弧や
千島
弧では Volcanic front から背弧側にかけてカルデラを生じるような大規模な
通史編1(自然・原始)
(一 青森県の気象)
また、梅雨期には、
千島
海域方向から吹く冷湿な偏東風(ヤマセ)の日が多くなると、太平洋側では冷害を大きく
通史編1(自然・原始)
(海洋プレートの運動と付加テクトニクス)
太平洋プレートのように、南米の西側の西経一一〇度付近の海嶺で生まれてから日本列島の東側にある
千島
海溝や
資料編1(考古編)
(5.青森県における弥生時代の終局)
北海道において江別式土器を製作使用する人々-江別文化人-の間に何らかの刺激、影響もしくは恐慌を惹起し、南
千島
通史編4(近・現代1)
(生い立ち)
そして
千島
の択捉島(えとろふとう)へ行く。
資料編1(考古編)
(〈用語の解説…第3節〉)
インドネシア・日本・
千島
・西インド諸島など、多くは大陸と大洋の境に位置し、大洋に向かって凸形をなし、いくつもの
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
●朝鮮・成宗十三年(文明十四、一四八二)四月九日、「夷
千島
王遐乂」と称する者、将軍義政の遣使に随行して,●朝鮮・成宗十三年(文明十四、一四八二)四月二十五日・五月十二日、朝鮮国政府、「夷
千島
王遐乂」の使者に
通史編5(近・現代2)
(戦時下のりんご統制)
昭和十年代のりんご小作料は、反当たり粗収入の一割程度の金納で済んだため、りんご小作農家の北海道、
千島
、
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
……………………… 朝鮮王朝実録 271 ●朝鮮・成宗十三年(文明十四、一四八二)四月九日、「夷
千島
王遐乂,朝鮮王朝実録 272 ●朝鮮・成宗十三年(文明十四、一四八二)四月二十五日・五月十二日、朝鮮国政府、「夷
千島
王遐乂
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