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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(奥大道と文物の流通)
『吾妻鏡』によると、奥州藤原氏初代清衡は、白河関から外浜に至る二十日余の道程一町ごとに笠
卒塔婆
をたて、,史実であるかどうかは疑問であるが、ただこうした一町
卒塔婆
には先例がある。,『白河上皇高野御幸記』や『中右記』によると、たとえば高野山や熊野山への参詣路に、町数や行程を記した
卒塔婆
,とすれば、一町ごとに
卒塔婆
を設置したかどうかは別として、浄土世界、中尊寺を最終目標とする行程路の整備が
資料編3(近世編2)
(●革秀寺 藤代一丁目)
内部には板
卒塔婆
を巡らし、宝篋印塔が安置されている。
資料編3(近世編2)
([口絵])
一六二号) 弘城出立之図 北蝦夷地陣屋着之図 元喜再ひ兄の墓へ詣、涕泣のあまり新に
卒塔婆
資料編2(近世編1)
([口絵])
内部には宝篋印塔が安置され,壁には板
卒塔婆
が張り巡らされている。
資料編1(考古編)
(第7節 出土遺物と生活)
木製品に墨書で書かれた例は、浪岡城跡において木版(図24-1)柿経『梵字・光明真言』(図24-2)や
卒塔婆
資料編3(近世編2)
(●長勝寺 西茂森一丁目)
内部は板床で天井は鏡天井とし、周囲の壁には板
卒塔婆
を巡らし、中央に石像無縫塔を安置している。
通史編2(近世1)
(災害の続発とその影響)
翌年、城下の大圓寺が亡骸を引き取って寺内に埋め、盆中にその供養を行ったが、その
卒塔婆
にはおよそ八九〇人
資料編1(考古編)
((1)祭祀と仏教文化の波及)
全体の形状は
卒塔婆
に似ている。
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