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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)
現青森市堤町付近)に配置し「津軽郡代(ぐんだい)」とするとともに、延徳三年(一四九一)に南部久慈(くじ)氏の一族
南部光信
,ト云、嫡男盛信ヲシテ居住セシム」(資料古代・中世No.八七七)とあり、文亀二年(一五〇二)、種里城主
南部光信
通史編1(古代・中世)
(三戸南部氏による領国支配の強化)
一応それらの史料に基づけば、津軽支配の強化は、延徳三年(一四九一)に、南部氏の一族である
南部光信
(なんぶみつのぶ,ったとある記事や(史料八六〇)、「津軽(郡)中名字」に南部盛信を久慈備州の子とする記述があることなどから、
南部光信
,を南部氏一族の久慈氏出身に比定する見解が強まり、また最近、近世の編纂物に
南部光信
の種里への移住に付き従,の方では、鰺ヶ沢町を中心とする地域において南部地域の方言が確認されるという報告もあり、種里に入部した
南部光信
資料編1(古代・中世編)
((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)
この過程で南部氏は、延徳三年(一四九一)、一族の
南部光信
(津軽氏の祖先)を西浜種里城に、明応七年(一四九八,)には、南部弾正康時を外が浜堤浦に入部させ、さらに文亀二年(一五〇二)には大浦城を築いて、
南部光信
の子盛信
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
●延徳三年(一四九一)、この年、
南部光信
、大浦・種里に入部し種里城に拠るという。,●明応六年(一四九七)、
南部光信
の女阿久、近衛尚通に近侍するという。
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●文亀二年(一五〇二)、
南部光信
、大浦城を築いて嫡男盛信をおくという。,●明応六年(一四九七)~永正九年(一五一二)の間、古河公方足利政氏、久慈右京亮(
南部光信
か)に御内書を
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 八戸湊文書 274 ●延徳三年(一四九一)、この年、
南部光信
、大浦・種里に入部し,………………………… 新羅之記録 275 ●明応六年(一四九七)、
南部光信
の女阿久、近衛尚通に近侍するという,… 安倍社司由緒書・館越日記・津軽史 278 ●文亀二年(一五〇二)、
南部光信
、大浦城を築いて嫡男盛信,津軽一統志 280 ●明応六年(一四九七)~永正九年(一五一二)の間、古河公方足利政氏、久慈右京亮(
南部光信
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