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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)

そして伊達政宗・佐竹義宣・最上義光・南部利直ら東北・関東の大名が国元に戻った後(「政宗君治家記録引証記,なかがわただしげ)・津金胤久(つがねたねひさ)は、家康の命を受ける形で北奥羽の諸大名に対して書状を発し、南部利直,一方、先に領国に引き揚げた北奥羽の諸大名のうち、南部利直は、その領内和賀郡から稗貫(ひえぬき)郡において,大名配置 居 城 氏 名 石 高 陸奥 弘前 津軽信枚 47,000  〃  盛岡 南部利直
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと津軽氏)

この包囲網に動員された奥羽・越後の各氏は、南部利直を除いてはほとんど上杉氏と領界を接するため、出陣を命
通史編2(近世1) (伏見作事板の運上と太閤蔵入地)

特に、敦賀の道川三郎左衛門は、南部利直から慶長五年七月二日付黒印状によって船役の免許状を獲得し、領内のいずれの
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

)形式の黒印知行安堵状・宛行状を発給することができるようになるのは、二代藩主の津軽信枚(のぶひら)・南部利直
通史編2(近世1) (江戸時代初期の大名課役)

諸大名は江戸に参集した後、伊達政宗・上杉景勝らは独自編成、相馬利胤(そうまとしたね)・南部利直・秋田実季
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●元和元年(一六一五)五月八日、盛岡城主南部利直、津軽信枚の狂気なる風聞を聞く。
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